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4ヶ月前
川中島古戦場八幡社,御朱印,アルス

川中島の戦い第4次合戦で武田晴信(武田信玄)が本陣を置かれたとされる川中島古戦場八幡社の特別御朱印です。
浄書できる通常の御朱印と信玄・謙信の一騎打ちが入った書置きのみの特別御朱印と2体あります。
御朱印帳をお持ちですか?と尋ねられますが、特別御朱印のみでも対応して頂けます。その場合は親切に転売防止で御朱印帳へ貼って頂けるので快く応じるのが良いです。
浄書の御朱印は1体300円、特別御朱印は書置きのみで1体500円です。
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訪問日2018/06/14
8 0 231
4ヶ月前
川中島古戦場八幡社,授与品,アルス

川中島の戦い第4次合戦で武田晴信(武田信玄)が本陣を置かれたとされる川中島古戦場八幡社の由緒書きです。
由緒書きは授与所で申し出ないと頂戴することはできませんのであしからず。
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訪問日2018/06/14
12 0 167
4ヶ月前
川中島古戦場八幡社,見どころ,アルス

川中島の戦い第4次合戦で武田晴信(武田信玄)が本陣を置かれたとされる川中島古戦場八幡社の神殿です。
八幡社は山本勘助が海津城を築くときに水除け八幡として、この地に勧請したと伝わっています。
その後、川中島の戦い第4次合戦の際に武田家がこの地に本陣を据え置いた結果、激戦となったこの地にあった旧社殿も破壊されてしまいました。
そこで武田信玄は、家臣である海津城主の高坂昌信へ再建を指示しました。
現在の社殿は、上田市の生島足島神社から旧社殿を譲り受け1940年(昭和15年)に移築された現存の建築物です。御祭神は誉田別命(応神天皇)と建御名方神。
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訪問日2018/06/14
10 0 135
4ヶ月前
川中島古戦場八幡社,見どころ,アルス

川中島の戦い第4次合戦で武田晴信(武田信玄)が本陣を置かれたとされる川中島古戦場八幡社の八幡社鞘堂(旧社殿)です。
八幡社は山本勘助が海津城を築くときに水除け八幡として、この地に勧請したと伝わっています。
その後、川中島の戦い第4次合戦の際に武田家がこの地に本陣を据え置いた結果、激戦となったこの地にあった旧社殿も破壊されてしまいました。
そこで武田信玄は、家臣である海津城主の高坂昌信へ再建を指示しました。
#長野 #長野県 #長野市 #長野県の観光地 #武田信玄ゆかりの地 #上杉謙信ゆかりの地 #川中島の戦い #日本の古戦場

訪問日2018/06/14
11 0 135
4ヶ月前
川中島古戦場八幡社,見どころ,アルス

川中島の戦い第4次合戦で武田晴信(武田信玄)が本陣を置かれたとされる川中島古戦場八幡社の境内にある執念の石です。
三太刀七太刀後、武田信玄の助太刀に入った原大隅が信玄の青貝の長柄を持ち、上杉謙信を突いたものの外れて、放生の頭を叩いてしまい驚き暴れ狂ったため、謙信はやむを得ず本陣から撤退しました。
この無念を原大隅は側にあった石に当たり、この石を持っていた長柄で貫いたとされます。
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訪問日2018/06/14
8 0 123
4ヶ月前
川中島古戦場八幡社,見どころ,アルス

川中島の戦い第4次合戦で武田晴信(武田信玄)が本陣を置かれたとされる川中島古戦場八幡社の境内にある信玄・謙信一騎打ちの像です。
1969年(昭和44年)にNHK大河ドラマ「天と地と」の放映を記念して建立された銅像です。
三太刀七太刀の一太刀を再現した、戦国時代を語るのに欠かせない名場面の一幕、俗にいう「(越後の)龍(甲斐の)虎の一騎打ち」です。
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訪問日2018/06/14
9 0 116
4ヶ月前
川中島古戦場八幡社,見どころ,アルス

川中島の戦い第4次合戦で武田晴信(武田信玄)が本陣を置かれたとされる川中島古戦場八幡社の境内にある三太刀七太刀之跡の碑です。
川中島の戦い第4次合戦にて、武田・上杉両軍は3万に及ぶ軍勢の衝突は激しい死闘となりました。
上杉謙信は愛馬放生に跨り、旗本数騎を引き連れて手薄となった武田本陣に奇襲を掛けました。
上杉謙信は、本陣で指揮を采配していた武田信玄目掛けて一閃を繰り出し、信玄は右手に持っていた軍配でその太刀筋を受け止めましたが、続く二太刀目で右手を負傷、更に三太刀で肩に傷を負いました。
戦後に信玄の持っていた軍配を調べると7つの太刀傷があったことから、この一騎打ちの跡を三太刀七太刀の跡と呼ばれるようになりました。
戦国時代、主役は織田信長・豊臣秀吉・徳川家康ですが、この時代を語るのに欠かせない名場面の一幕、俗にいう「(越後の)龍(甲斐の)虎の一騎打ち」です。
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訪問日2018/06/14
9 0 97
4ヶ月前
川中島古戦場八幡社,見どころ,アルス

川中島の戦い第4次合戦で武田晴信(武田信玄)が本陣を置かれたとされる川中島古戦場八幡社の境内にある 逆槐(さかさえんじゅ)です。
これは、川中島の戦い第4次合戦の武田軍の軍議にて当軍の軍師だった山本勘助などの進言で「キツツキ戦法」を採用した武田信玄の指示にて土塁を積みかさね、矢来を組み、盾をはりめぐらして本陣を構えました。
このとき土塁の土どめに自生の槐の杭を根を上にして打ち込んだのが芽を出し、その後約400年を経てこの巨木となったと伝えられています。
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訪問日2018/06/14
7 0 101
4ヶ月前
川中島古戦場八幡社,見どころ,アルス

川中島の戦い第4次合戦で武田晴信(武田信玄)が本陣を置かれたとされる川中島古戦場八幡社の境内にある首塚です。
この首塚は、川中島の戦い第4次合戦後、武田家の海津城主だった高坂昌信(一般的な名称)が、激戦地となった八幡原(現地付近)一帯の武田・上杉両軍の遺体を集め、手厚く弔った塚です。
このことを知った上杉謙信は大変感激し、武田信玄が南側の隣国、相模の北条家と遠江の今川家からの経済封鎖を受け、今川家から買い付けていた塩の不足で困っていると聞きつけると「われ信玄と戦うもそれは弓矢であり、魚塩にあらず」と、この恩に報いて即、塩を送ったと伝わっています。
これが世に伝わる「敵に塩を送る」の起源ともなっています。
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訪問日2018/06/14
8 0 100
4ヶ月前
川中島古戦場八幡社,見どころ,アルス

川中島の戦い第4次合戦で武田晴信(武田信玄)が本陣を置かれたとされる川中島古戦場八幡社の手水舎です。
手水舎は水道が引かれて整備されていました。
#長野 #長野県 #長野市 #長野県の観光地 #武田信玄ゆかりの地 #上杉謙信ゆかりの地 #川中島の戦い #日本の古戦場

訪問日2018/06/14
10 0 125
4ヶ月前
川中島古戦場八幡社,見どころ,アルス

川中島の戦い第4次合戦で武田晴信(武田信玄)が本陣を置かれたとされる川中島古戦場八幡社です。
長野駅からバスでゆられること40分、小学生の頃から憧れた川中島の地へやってくるとは思いもしませんでした。
武田信玄と上杉謙信が直接、相まみえた伝説のある地です。
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訪問日2018/06/14
11 0 224
4ヶ月前
西光寺(かるかや山),御朱印,アルス

絵解きのお寺で知られる浄土宗、西光寺の
右、御本尊、刈萱親子地蔵尊
左、善光寺七福神1番、寿老人
の御朱印です。
西光寺は他の無人の秋葉神社の七福神などの拝受もすることが可能ですが、長野はまた来たいと考えているので本院の御朱印のみ拝受しました。
#長野 #長野県 #長野市 #浄土宗 #刈萱伝説 #善光寺七福神

訪問日2018/06/14
10 0 100
4ヶ月前
西光寺(かるかや山),見どころ,アルス

絵解きのお寺で知られる浄土宗、西光寺の本堂です。
1707年(宝永4年)に善光寺現本堂の建立により、往生院に置かれた仮堂を寄付され本堂となりました。
しかし老朽化により1875年(明治8年)にその由緒あるお堂も解体、開山堂を本堂としましたが1938年(昭和13年)に建替えを行い3代目の本堂となります。絵解き場や御本尊、親子地蔵尊が安置されています。
#長野 #長野県 #長野市 #浄土宗 #刈萱伝説 #善光寺七福神

訪問日2018/06/14
9 0 100
4ヶ月前
西光寺(かるかや山),見どころ,アルス

絵解きのお寺で知られる浄土宗、西光寺の境内にある刈萱親子の対面象です。
博多の守護職だった加藤左衛門尉繁(苅萱道心)は妻と妾に嫉妬し、領地と家族を捨て出家、法然上人の元で修行し高野山へ登りました。
その子、石童丸は母とともに父親探しの旅に出て、その途中、それらしい僧が高野山にいると知ります。
高野山は当時は女人禁制だったので母を麓の宿に置いて高野山へ登った石童丸は高野山で父と再会を果たしますが、棄恩入無為の誓から父苅萱道心(等阿法師)は、「あなたが尋ねる人はすでに死んだのです」と伝え、高野山を下りました。麓の宿に戻ると母は長旅の疲労が原因で既に他界していました。そして再び高野山へ戻り苅萱道心(等阿法師)へ弟子入りして父と知ることなく仏に仕えたという話が刈萱伝説です。
#長野 #長野県 #長野市 #浄土宗 #刈萱伝説 #善光寺七福神

訪問日2018/06/14
9 0 92
4ヶ月前
西光寺(かるかや山),見どころ,アルス

絵解きのお寺で知られる浄土宗、西光寺の慈光門です。
1979年(昭和54年)に建立された現存の伽藍です。
善光寺参道にあるので善光寺へ行く際に前を通りましたが
行きは立ち寄らず、往生院後、善光寺参道を下って立ち寄りました。
#長野 #長野県 #長野市 #浄土宗 #刈萱伝説 #善光寺七福神

訪問日2018/06/14
11 0 202
4ヶ月前
往生院,御朱印,アルス

長野市の繁華街、権堂の由来となる浄土宗、往生院の御朱印です。
西宮神社へ持って行くと日付を書いてくれるみたいですが、長野駅へ向かう途中だったので西宮神社へは行っておりません。
セルフ式の御朱印ですが、朱印の判を黒インクに押した方がいるみたいで(^^;まぁそれも旅の醍醐味です。左上が善光寺七福神弁財天の朱印です。
納めは専用の賽銭箱へ投入となります。
#長野 #長野県 #長野市 #善光寺 #権堂 #浄土宗 #源頼朝ゆかりの地 #善光寺七福神

訪問日2018/06/14
10 0 110
4ヶ月前
往生院,見どころ,アルス

長野市の繁華街、権堂の由来となる浄土宗、往生院の本堂です。
807年(大同2年)に弘法大師が善光寺参拝の折りにこの地に賓乗寺(ほうじょうじ)として開山したのが起源とされます。
1197年(建久8年)に源頼朝が善光寺を参拝した際に源平合戦で荒廃した善光寺再建を発願し甲斐善光寺に安置されていた絶対秘仏一光三尊阿弥陀如来を当院へ移し、善光寺の仮堂としました。
このお堂が権堂と呼ばたことからこの周辺は権堂(町)と呼ばれる起源となりました。
その後、1199年(後正治元年)に法然上人が善光寺参拝の折りに浄土宗の往生院とし初代住職に座しました。
#長野 #長野県 #長野市 #善光寺 #権堂 #浄土宗 #源頼朝ゆかりの地 #善光寺七福神

訪問日2018/06/14
9 0 115
4ヶ月前
往生院,見どころ,アルス

長野市の繁華街、権堂の由来となる浄土宗、往生院の宇賀神大弁才天堂です。
こちらは善光寺七福神の4番、弁財天を祀る堂宇です。
#長野 #長野県 #長野市 #善光寺 #権堂 #浄土宗 #源頼朝ゆかりの地 #善光寺七福神

訪問日2018/06/14

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