#長野県

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13 0 580
4ヶ月前
熊野皇大神社,御朱印,黒モアイ

長野県県境の碓氷峠に鎮座する熊野皇大神宮の御朱印です。
右側に「夏詣」の印が追加されていました。
拝殿脇の神札授与所にて頂きました。
こちらには時期限定の御朱印や型抜きをして御朱印帳に貼るものもありましたが、頂きませんでした。

こちらには下の鳥居付近にも無人の神札授与所があり、通常領布のものは不在の際の書き置きはそちらで頂く事が可能です。
#御朱印 #熊野皇大神社
#長野県 #軽井沢町 #県境にある神社

訪問日2018/07/23
12 0 153
4ヶ月前
熊野皇大神社,見どころ,黒モアイ

熊野皇大神社鎮座の「那智宮」です。
御祭神は事解男命(ことさかおのみこと)です。
#熊野皇大神社 #県境にある神社
#長野県 #軽井沢町

訪問日2018/07/23
12 0 147
4ヶ月前
熊野皇大神社,見どころ,黒モアイ

熊野皇大神社の社務所です。
神札授与所も兼ねていて、御朱印はこちらでお受けします。
パンフレットによると熊野皇大神社は全国四社しかない、特別神社の指定を受けています。
#熊野皇大神社 #県境にある神社
#長野県 #軽井沢町

訪問日2018/07/23
10 0 138
4ヶ月前
熊野皇大神社,見どころ,黒モアイ

熊野皇大神社の拝殿脇にあるご神木「シナノキ(科の木)」です。
推定樹齢1000年といわれる落葉樹の大木で、一説に信濃の国の語源になったと言われています。
科の語源が「結ぶ・くくる・しばる」とされ、開運・縁結びの神木として親しまれているそうです。
#熊野皇大神社 #県境にある神社
#長野県 #軽井沢町

訪問日2018/07/23
11 0 154
4ヶ月前
熊野皇大神社,見どころ,黒モアイ

鳥居手前の参道にある県境を示す敷石です。
うっかりすると見逃してしまいますが、ここが県境にあるのだと最初に意識させられる場所です。
#熊野皇大神社 #熊野神社
#長野県 #軽井沢町
#群馬県 #松井田町 #県境の神社

訪問日2018/07/23
11 0 132
4ヶ月前
熊野皇大神社,見どころ,黒モアイ

長野県県境の碓氷峠に鎮座する熊野皇大神社と群馬県県境鎮座の熊野神社との共用の鳥居です。
車ではこの鳥居付近まで上がることが可能です。
#熊野皇大神社 #熊野神社
#長野県 #軽井沢町
#群馬県 #松井田町 #県境の神社

訪問日2018/07/23
12 3 261
4ヶ月前
熊野神社,見どころ,黒モアイ

群馬県・長野県県境の碓氷峠に鎮座する熊野神社と熊野皇大神社の拝殿です。
右側は熊野神社鎮座の新宮。
左側が熊野皇大神社鎮座の那智宮です。

拝殿奥が県境鎮座、熊野神社(群馬県)と熊野皇大神社(長野県)の「本宮」です。
「本宮」の御祭神は伊邪那美命、日本武尊の二柱です。
本殿は共用ながら、神社は別々になっている珍しい形になっています。
#熊野神社 #熊野皇大神社
#群馬県 #松井田町
#長野県 #軽井沢町 #県境の神社

訪問日2018/07/23
11 0 117
4ヶ月前
熊野神社,見どころ,黒モアイ

群馬県県境の碓氷峠に鎮座する「熊野神社」の随神門です。
扁額には長野県側の皇大神宮のものが 掛けられています。
#熊野神社 #熊野皇大神社
#群馬県 #松井田町
#長野県 #軽井沢町 #県境の神社

訪問日2018/07/23
12 0 656
4ヶ月前
川中島古戦場八幡社,御朱印,アルス

川中島の戦い第4次合戦で武田晴信(武田信玄)が本陣を置かれたとされる川中島古戦場八幡社の特別御朱印です。
浄書できる通常の御朱印と信玄・謙信の一騎打ちが入った書置きのみの特別御朱印と2体あります。
御朱印帳をお持ちですか?と尋ねられますが、特別御朱印のみでも対応して頂けます。その場合は親切に転売防止で御朱印帳へ貼って頂けるので快く応じるのが良いです。
浄書の御朱印は1体300円、特別御朱印は書置きのみで1体500円です。
#長野 #長野県 #長野市 #長野県の観光地 #武田信玄ゆかりの地 #上杉謙信ゆかりの地 #川中島の戦い #日本の古戦場

訪問日2018/06/14
8 0 231
4ヶ月前
川中島古戦場八幡社,授与品,アルス

川中島の戦い第4次合戦で武田晴信(武田信玄)が本陣を置かれたとされる川中島古戦場八幡社の由緒書きです。
由緒書きは授与所で申し出ないと頂戴することはできませんのであしからず。
#長野 #長野県 #長野市 #長野県の観光地 #武田信玄ゆかりの地 #上杉謙信ゆかりの地 #川中島の戦い #日本の古戦場

訪問日2018/06/14
12 0 167
4ヶ月前
川中島古戦場八幡社,見どころ,アルス

川中島の戦い第4次合戦で武田晴信(武田信玄)が本陣を置かれたとされる川中島古戦場八幡社の神殿です。
八幡社は山本勘助が海津城を築くときに水除け八幡として、この地に勧請したと伝わっています。
その後、川中島の戦い第4次合戦の際に武田家がこの地に本陣を据え置いた結果、激戦となったこの地にあった旧社殿も破壊されてしまいました。
そこで武田信玄は、家臣である海津城主の高坂昌信へ再建を指示しました。
現在の社殿は、上田市の生島足島神社から旧社殿を譲り受け1940年(昭和15年)に移築された現存の建築物です。御祭神は誉田別命(応神天皇)と建御名方神。
#長野 #長野県 #長野市 #長野県の観光地 #武田信玄ゆかりの地 #上杉謙信ゆかりの地 #川中島の戦い #日本の古戦場

訪問日2018/06/14
10 0 135
4ヶ月前
川中島古戦場八幡社,見どころ,アルス

川中島の戦い第4次合戦で武田晴信(武田信玄)が本陣を置かれたとされる川中島古戦場八幡社の八幡社鞘堂(旧社殿)です。
八幡社は山本勘助が海津城を築くときに水除け八幡として、この地に勧請したと伝わっています。
その後、川中島の戦い第4次合戦の際に武田家がこの地に本陣を据え置いた結果、激戦となったこの地にあった旧社殿も破壊されてしまいました。
そこで武田信玄は、家臣である海津城主の高坂昌信へ再建を指示しました。
#長野 #長野県 #長野市 #長野県の観光地 #武田信玄ゆかりの地 #上杉謙信ゆかりの地 #川中島の戦い #日本の古戦場

訪問日2018/06/14
11 0 135
4ヶ月前
川中島古戦場八幡社,見どころ,アルス

川中島の戦い第4次合戦で武田晴信(武田信玄)が本陣を置かれたとされる川中島古戦場八幡社の境内にある執念の石です。
三太刀七太刀後、武田信玄の助太刀に入った原大隅が信玄の青貝の長柄を持ち、上杉謙信を突いたものの外れて、放生の頭を叩いてしまい驚き暴れ狂ったため、謙信はやむを得ず本陣から撤退しました。
この無念を原大隅は側にあった石に当たり、この石を持っていた長柄で貫いたとされます。
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訪問日2018/06/14
8 0 123
4ヶ月前
川中島古戦場八幡社,見どころ,アルス

川中島の戦い第4次合戦で武田晴信(武田信玄)が本陣を置かれたとされる川中島古戦場八幡社の境内にある信玄・謙信一騎打ちの像です。
1969年(昭和44年)にNHK大河ドラマ「天と地と」の放映を記念して建立された銅像です。
三太刀七太刀の一太刀を再現した、戦国時代を語るのに欠かせない名場面の一幕、俗にいう「(越後の)龍(甲斐の)虎の一騎打ち」です。
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訪問日2018/06/14
9 0 115
4ヶ月前
川中島古戦場八幡社,見どころ,アルス

川中島の戦い第4次合戦で武田晴信(武田信玄)が本陣を置かれたとされる川中島古戦場八幡社の境内にある三太刀七太刀之跡の碑です。
川中島の戦い第4次合戦にて、武田・上杉両軍は3万に及ぶ軍勢の衝突は激しい死闘となりました。
上杉謙信は愛馬放生に跨り、旗本数騎を引き連れて手薄となった武田本陣に奇襲を掛けました。
上杉謙信は、本陣で指揮を采配していた武田信玄目掛けて一閃を繰り出し、信玄は右手に持っていた軍配でその太刀筋を受け止めましたが、続く二太刀目で右手を負傷、更に三太刀で肩に傷を負いました。
戦後に信玄の持っていた軍配を調べると7つの太刀傷があったことから、この一騎打ちの跡を三太刀七太刀の跡と呼ばれるようになりました。
戦国時代、主役は織田信長・豊臣秀吉・徳川家康ですが、この時代を語るのに欠かせない名場面の一幕、俗にいう「(越後の)龍(甲斐の)虎の一騎打ち」です。
#長野 #長野県 #長野市 #長野県の観光地 #武田信玄ゆかりの地 #上杉謙信ゆかりの地 #川中島の戦い #日本の古戦場

訪問日2018/06/14
9 0 97
4ヶ月前
川中島古戦場八幡社,見どころ,アルス

川中島の戦い第4次合戦で武田晴信(武田信玄)が本陣を置かれたとされる川中島古戦場八幡社の境内にある 逆槐(さかさえんじゅ)です。
これは、川中島の戦い第4次合戦の武田軍の軍議にて当軍の軍師だった山本勘助などの進言で「キツツキ戦法」を採用した武田信玄の指示にて土塁を積みかさね、矢来を組み、盾をはりめぐらして本陣を構えました。
このとき土塁の土どめに自生の槐の杭を根を上にして打ち込んだのが芽を出し、その後約400年を経てこの巨木となったと伝えられています。
#長野 #長野県 #長野市 #長野県の観光地 #武田信玄ゆかりの地 #上杉謙信ゆかりの地 #川中島の戦い #日本の古戦場

訪問日2018/06/14
7 0 101
4ヶ月前
川中島古戦場八幡社,見どころ,アルス

川中島の戦い第4次合戦で武田晴信(武田信玄)が本陣を置かれたとされる川中島古戦場八幡社の境内にある首塚です。
この首塚は、川中島の戦い第4次合戦後、武田家の海津城主だった高坂昌信(一般的な名称)が、激戦地となった八幡原(現地付近)一帯の武田・上杉両軍の遺体を集め、手厚く弔った塚です。
このことを知った上杉謙信は大変感激し、武田信玄が南側の隣国、相模の北条家と遠江の今川家からの経済封鎖を受け、今川家から買い付けていた塩の不足で困っていると聞きつけると「われ信玄と戦うもそれは弓矢であり、魚塩にあらず」と、この恩に報いて即、塩を送ったと伝わっています。
これが世に伝わる「敵に塩を送る」の起源ともなっています。
#長野 #長野県 #長野市 #長野県の観光地 #武田信玄ゆかりの地 #上杉謙信ゆかりの地 #川中島の戦い #日本の古戦場

訪問日2018/06/14
8 0 100
4ヶ月前
川中島古戦場八幡社,見どころ,アルス

川中島の戦い第4次合戦で武田晴信(武田信玄)が本陣を置かれたとされる川中島古戦場八幡社の手水舎です。
手水舎は水道が引かれて整備されていました。
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訪問日2018/06/14

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