アゲハ のおまいり

半世紀以上の生きた化石なので、なにも期待しないでくださいね。
omiriに参加させて頂き色々と見えて来たことがあり、私なりに、やってみたいと思います。
問題児になるやもしれませんが、もう出ていけと云われる迄常識という枠を外させてもらうかも・・・

ポチッとは、フォローは無理にしなくてもお気に入りだけでも良いですよ。

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「爺のギャラリー光と影へようこそ!」
五つあったブログの内、最後に残しておいた花や風景写真関連のブログです。
今は廃業してますが、ブログは生きていますので、ご覧になりたい方は、どうぞ!!
ホンマは載せたくなかったんだけれど、突き上げがあり公開します。
投稿
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約15時間前
仁叟寺,御朱印,アゲハ

新上州観音霊場三十三カ所(第十八番札所)御本尊の千手観音。
今回は、これだけにしましたが、他の霊場の御朱印もいただけます。
直筆で頂けましたが、書置きのほうが多いそうです。

24 2 74
約15時間前
仁叟寺,授与品,アゲハ

パンフレットといろいろとセットになっている。

24 6 75
約15時間前
仁叟寺,見どころ,アゲハ

解説は程々にと言いながらも、出来ませんでした。💦💦💦💦💦

天祐山 公田院 仁叟寺(てんゆうざん くでんいん じんそうじ)
群馬県内屈指の伽藍、境内が広く数多くの堂がある仁叟寺は、群馬県
高崎市吉井町にあります。
仁叟寺の創建は室町時代の応永元年から正長元年(1394~1428年)に当時の領主だった奥平貞訓によって開かれたのが始まりと伝えられています。
当初は町内の奥平公田にありましたが大永2年(1522)に奥平貞能が現在地に移し堂宇を再建、直翁裔正禅師(雙林寺4世)を招いて改めて開山しています。
三河に進出した奥平家宗家の後裔は後に長篠の戦いの戦功で名を馳せ、徳川家の譜代大名として確立、奥平信昌は徳川家康の長女・亀姫を正室に迎えた事で重用されています。
その亀姫は奥平家と縁がある仁叟寺に寺領を寄進するなど庇護し、江戸時代に入ると幕府から庇護され三代将軍徳川家光より寺領25石が安堵されています。
慶長7年(1602)吉井藩(藩庁:吉井陣屋)初代藩主菅沼定利が死去すると菩提寺に定められ墓碑が建立されましたが、その後玄太寺に移されています。
歴代領主から庇護された事で寺運が隆盛し、境内には溝口信勝(旗本)や奥平貞訓(奥平城主)、長谷川淡路守、讃岐守(旗本)などの墓碑が建立されています。
又、吉井城下の豪商である秋山家は仁叟寺の大旦那で歴代の墓碑が建立されています。

28 2 73
約15時間前
仁叟寺,見どころ,アゲハ

参詣者用のP場から直ぐ近くに建つ「惣門」が仁叟寺の正門、惣門の左右には大きな石標柱が立てられています。
禅宗らしく簡素な造りの惣門は宝暦11年:1761年のもの、入母屋、桟瓦葺造り。
門の基本形式は、左右の本柱の内側に控え柱を立てた「薬医門」である。
しかし、こちらの惣門の場合は、薬医門の左右に本柱から離れて南北に三本の柱を立て、それらの間に板壁を張って門の間口を広めたものである。
惣門から左右へは瓦葺き屋根を載せた漆喰壁の土塀を付設している。

27 0 62
約15時間前
仁叟寺,見どころ,アゲハ

白山妙理大権現は、寺域を守護する龍神で曹洞宗の開祖道元禅師が宋から帰朝される折、乗っていた船を守ったことで知られています。
また、帰国前夜にこの権現が手伝い「碧巌録」の筆写を一夜の内に全てを書き写したとされています。

白山妙理大権現の近くには、石柱の上に社が載った金毘羅大権現も有ります。

23 0 58
約15時間前
仁叟寺,見どころ,アゲハ

 直心庵は、札所兼休息茶所として、再中興開基である寺本欣正サンコーグループ会長の発願寄進により、三〇世渡辺隆司代の平成八年(一九九六)に完成した。
寺本欣正の座右の銘に、「直心是道場」という言葉があり、その言葉の実践を実際の行動にて表わした。
直心庵は、年々増加傾向にある参拝者の皆様に、ゆっくりと寛いでいただく場所を提供したい、という思いから建立された。
庵内は飲食店経営許可も受け、実際に調理師資格を持つ渡辺恵津子副住職夫人(当時)が中心となり、飲食物を提供している。(常時ではないが…)
また、飲食だけでなく、札所としての側面もあり、御札や御守、参拝の記念品、中国との深い交流を物語る中国各種銘品なども提供していたが、現在は休業状態である。
入口脇には、石製の水鉢とお地蔵さまが来庵者を迎える。臨時的な大法要の際には、典座寮として使用されている。
九曜星紋は細川家が有名だが、こちらは寺紋、それも仁叟寺総代の紋になるらしい。
手水舎から眺める文殊堂(もんじゅどう)は銅版葺入母屋重層屋根の構造が良く分かるわ。

22 0 56
約15時間前
仁叟寺,見どころ,アゲハ

惣門から入山すると参道脇に沢山の石仏(二十二夜尊)が見られます。
風化具合から江戸期に奉納されたと思われる石仏。
比較的に新しい童顔の「六地蔵」、「三界萬霊等」いろいろ興味深いものが有ります。
第一宝来当の後ろには、座禅堂(選佛場)
山門と惣門の間の西側にあり、前面には大本山總持寺を開かれた瑩山禅師像が、岩瀬一男・河原正美の寄進により建立されている。
堂内中央には金色に輝く文殊菩薩坐像が安置され、大人で五三名、子供で約七〇名が坐禅を組むことができる。
床面積は、一四八・二二㎡(四四・七五坪)ある。
堂内は、東司・浴司とともに三黙道場の一つとされており、私語は厳禁で、下足入が内部左右に備え付けられているように、土足厳禁でもある。
坐禅堂は、三〇世住職渡辺隆司代の昭和六二年(一九八七)八月二八日に着工、同年一二月一六日に上棟、翌年九月二九日に完成した。

24 0 55
約15時間前
仁叟寺,見どころ,アゲハ

座禅堂参道砂利場に設置されていた20cm位の板状の黒猫、どうも境内各所に隠れているらしい。
探すのもよいかもしれない。 (遊び心のある禅寺は好きだなぁ~)

本堂内に飾られていた猫画、有名な人らしいが、サインが読めない。💦

欣光閣、(檀信徒会館兼庫裏)の前に佇む、しあわせ地蔵さん、大らかな優しさに包まれたほほえみ顔が癒してくれる。の下に居ましたCatさん。

22 2 59
約15時間前
仁叟寺,見どころ,アゲハ

山門の外観は、瓦葺き入母屋造り平入りであるが、しかし、当初は寄せ棟造り萱葺き屋根であったものを、昭和三一年(一九五六)一一月に改修し瓦葺きに改めたものである。
山門の規模は、間口(桁行き)八一・八四尺(二四・八〇m)、奥行き(梁間)五一・一九尺(一五・五一m)であり、地方寺院の山門としては大規模であるといえる。
禅宗寺院本堂の発達史から見ると、古い寺院の本堂平面は、内陣と法堂(外陣)の左右にそれぞれ一部屋を設けた六間取りを基本とする。
しかし、こちらの山門の場合は東側に「方丈」と「脇の間」を設け、さらに東西に幅一間の廊下を設けているので、地方における禅宗寺院の山門としては、発達した平面形式を示しているといえる。
上層階内部には金剛力士像や五百羅漢像などが安置されているそうですが立入禁止。
 
参道の真ん中で睨みを利かす三つ目鬼灯篭。

この準備運動をしているかのような、仁王像を自分は123準備運動タイプと呼んでいる。😃

22 2 60
約16時間前
仁叟寺,見どころ,アゲハ

屋内の組み物を見ると、法堂(外陣)および内陣共に正面だけを「出組」とし、「中備」に和風の蟇股かえるまたを用いている。
曹洞宗といえば禅宗であるが、本堂の建築に禅宗の特徴を見るのは、本堂と内陣正面の柱頭部に「台輪」を載せている程度である。

自分はこのタイプの燈篭をアダムスキー型燈篭と呼んでいる。

19 0 57
約16時間前
仁叟寺,見どころ,アゲハ

この鐘楼堂には、平成一三年(二〇〇一)現在、鋳造の梵鐘を吊るしている。
しかし、以前は天和三年(一六八三)九月の銘のある梵鐘を吊るしていた。
なお、天和三年の梵鐘は現在、本堂内に安置し大切に保存している。
建築について見ると、屋根を支える円柱の柱脚には、白御影石の切石を据えている。
また袴腰下部の礎石には、細長く成型した黄色みがかった多胡石を据えている。
軸組を構成する柱は、袴腰で外から見えなくなる初層を八角形とし、上層では円柱にし銅板を巻いている。
組み物を見ると、袴腰上部の縁を支える腰組は「二手先組」とし、上層の軒廻りでは「平三斗組」にし、中備を「詰組」にしている。
また彫刻を見ると、上層柱頭部の四隅に丸彫りの「獅子頭」を付け、頭貫と台輪の間では唐草模様の透かし彫り彫刻を嵌め込んでいる。
さらに、柱頭の斗組と中備の間には、高肉透かし彫りした四種類の動物彫刻を嵌め込んでいる。
これらを観察すると、東・西・南・北のそれぞれの方位に、下記のような動物を嵌め込んでいる。
*北 側=一対の龍 *東 側=一対の亀 *南 側=一対の鳳凰 *西 側=一対の麒麟
欠損と風化はあるものも、花鳥風月の天井画も見応えがある。

19 0 55
約16時間前
仁叟寺,見どころ,アゲハ

境内の中央、本堂の左手前にある榧の木は寺内の火除、そして天宮さまの宿り木といわれてきた。
いわば、仁叟寺の象徴である。当寺開山の直翁裔正のお手植えと伝えられ、樹齢約五〇〇年である
高さ二二m、目通り(周囲)四・八m。根張りがよく、一〇mある(大人三人でようやくかかえる大きさ)。樹冠は優に二〇m余もあったが、落雷や煤煙の被害を受けて枝枯れしたので、今は往時の姿はなく、すっきりした樹形になっている。
太平洋戦争前の落雷では、先端約五mほどが折られた。
平成に入ってからの枝枯れは、その落雷の影響が大きいといわれている。
ただし、榧の木がなければ本堂に落雷していた可能性が高かった。
避雷針が一般化されておらず、屋根も萱葺きだった当時のことを考えると、まさに身を挺して本堂を護ったといえる、ご神木である。
平成四年(一九九二)、樹木医の指示により、主幹の一部が空洞になったところにコンクリートで充塡した。
この作業の折に、空洞のなかに白い羽毛の木みみ菟づくが棲息しており、白蛇(青大将の変種)もいたという。

19 0 53
約16時間前
仁叟寺,見どころ,アゲハ

本堂と仁王門の間に、お線香をたく香炉が置かれています。
仏壇などにお線香をあげる時に、使うのが香炉ですが、お寺では参拝者が線香をあげるために大きな香炉が置かれています。
参拝者がいれば、常に煙があがっているので「常香炉(じょうこうろ)」と呼ばれています。
通常の香炉なれば、龍の絵が彫られていのですが、こちらは、寺紋の九曜星紋です。
しかし、九曜星紋あちらこちらにありますね。

18 2 56
約16時間前
仁叟寺,見どころ,アゲハ

火災戦災に遭うことなく、五百年前中世の風格を今に伝える仁叟寺本堂(大永2年1522年建立)
本堂の外観は、瓦葺き入母屋造り平入りである。しかし、当初は寄せ棟造り萱葺き屋根であったものを、昭和三一年(一九五六)一一月に改修し瓦葺きに改めたものである。
当本堂の規模は、間口桁行13間半、梁間9間半であり、地方寺院の本堂としては大規模が大きい。
本堂内扁額は、寺号「仁叟禅寺」
推測だが、中国五台山顕通寺との友好の証として贈られた白磁狛犬だと思われる。

19 0 51
約16時間前
仁叟寺,見どころ,アゲハ

仁叟寺本堂、須弥壇奥に鎮座する御本尊は釈迦三尊像。左から脇尊の阿難立像・釈迦如来坐像・脇尊迦葉立像。
写るってはいないが、 御本尊の鎮座する須弥壇の上部左右には、十六菩薩像が祀られている。
仁叟寺は上州観音霊場三十三ヶ所の第十八番霊場、観世音菩薩像。

札所等  新上州観音霊場三十三カ所(第十八番札所)。
     南毛霊場三十三観音(第十八番札所)。
     旧坂東三郡観音霊場三十三カ所(第二十五番札所)。
御詠歌     秋風に なびく早稲穂も 八束山 ややたのみある 世を仰ぐらん

そのほかに、仁叟寺本堂の最奥にある開山堂(位牌堂)を参詣し由緒ある歴代住職の位牌が並ぶなか、開山堂正面の三体の尊像は仁叟寺の開山禅師・中興禅師と曹洞宗の開祖・道元大和尚に黙とうしてきました。
残念ながら、写真はありません。

19 0 52
約16時間前
仁叟寺,見どころ,アゲハ

広く荘厳な本堂内陣の右側のみを投稿。

本堂の欄間を飾る龍の透かし彫りの一枚。

鐘楼にて、天和三年の梵鐘は現在、本堂内に安置し大切に保存している。と記載した梵鐘がこれ!

18 0 52
約16時間前
仁叟寺,見どころ,アゲハ

日本一の大十三重石塔を従えて、境内には、奥から本堂、欣光閣(檀信徒会館兼庫)に高くそびえる天然記念物のモクの木。
欣光閣は、檀信徒会館兼庫裏として、昭和六三年(一九八八)に建設された。
建設にあたり、三〇世住職渡辺隆司の発願を受け、仁叟寺再中興開基である寺本欣正氏の多大な寄進と多くの檀信徒の協力を得た。
入母屋造の壮大な建物であり、床面積五四三・四九㎡(一六四・〇八坪)である。
玄関を入ると、東西にのびる廊下があり、西側は本堂への渡り廊下に連結され、東側は庫裏につながる。
中央部に和室四室が田の字型に配され、その周囲を回廊が廻る。
和室西側には、南から応接室・典座寮・東司・浴司・電算室・書庫などが並び、庫裏側には二階もあり、書籍や仏具、資料庫になっている。
特に二階奥側に位置する部屋は仁叟寺誌編纂室として当寺誌の編纂はもちろん、古文書の解読および目録作成の場所としても機能し、三階もあるが、天井裏といった雰囲気である。
湿度が年間を通じ一定しているため、古資料や書画が保管収蔵されている。

18 0 54
約16時間前
仁叟寺,見どころ,アゲハ

御水屋と雪月花の碑と福徳圓満観音
仁叟寺の御水屋は、本堂の南東側の境内にある。以前、この一帯は禅寺では珍しい池があったが、現在では、その隣に池を模した庭園となっている。
この庭園は、廣澤寺都丸龍雄住職(藤岡市矢場)の作である。
御水屋裏には小さな築山があり、白砂利が敷き詰められた境内の中央に「指月庭」という庭園が広がっている。

福徳圓満観音数あるお地蔵さんの中でも幸せ気分度NO1かもしれない。

御水屋とは反対側に建つ漆喰風堂宇は「古照堂」。
吉井町塩の名家・向井家が保管していた「多胡碑」(高さ120cm 幅60cm)を仁叟寺に寄進され、覆堂の古照堂中央に由緒ある「多胡碑(仁叟寺の多胡碑)」が置かれています。
同じ吉井町に在る日本三古碑の多胡碑の裏碑(予備・模刻)といわれ、同じ材質・同刻字で同年代製(8世紀後半)と思われる国宝級の貴重な古石碑です。←真相は、どうかは分からないが…

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