しのづかいなりじんじゃ
東京都台東区柳橋1丁目5-1
当神社の創建は非常に古くて確かな事は判りませんが、神社に伝わる古文書や伝記などに依れば、正中年間 (1325年頃) に新田義貞の四天王の一人であった篠塚伊賀守重宏が足利尊氏軍との四国での最後の戦い..
当神社の創建は非常に古くて確かな事は判りませんが、神社に伝わる古文書や伝記などに依れば、正中年間 (1325年頃) に新田義貞の四天王の一人であった篠塚伊賀守重宏が足利尊氏軍との四国での最後の戦いに敗れた後ひそかに東北に逃れ、現在地近辺の茅原の里にあったと言う当稲荷の祠の傍にて仏門に入り、日夜主家の再興を祈願していた事から、いつしか里人が篠塚稲荷神社と称する様になったと言われています。古来諸大名や高家及び庶民の崇敬厚く、天保7年版 (1836年) 「江戸名所図会」に記載されている稲荷社の絵図に「篠塚稲荷神社。当地の旧社なり。昔、新田 (義貞)の家臣篠塚伊賀守、当社を信仰し、晩年に入道して社の側に庵室を結びて住す。別当玉蔵院はその裔なりと言えり 」とあります。当時は神仏混交の時代で篠塚伊賀守の子孫は京都菩提寺から篠塚山玉蔵院宗林寺の三号を受けた真言宗の修験僧で稲荷社の別当を務め、且つ江戸期から大正末期までは神社境内に寺子屋 (後に篠塚小学校) を運営し、また福井町にも分校を設けていましたが明治維新の際の廃仏棄釈により玉蔵院を廃止し、大正11年には篠塚小学校も廃校致しました。
倉稲魂命
不詳
6月第1土曜日・日曜日 例祭
都営バス (東42-1、東42-2) 浅草橋駅前バス停から徒歩3分 台東区コミュニティバス (南めぐりん) 柳橋中央通りバス停から徒歩4分 JR総武線・都営地下鉄浅草線 浅草橋駅から徒歩4分
常時(参拝自由)
無料
10分未満(5分程度)
無し