くにみずひこごこくじんじゃ
兵庫県洲本市山手2丁目1−43
明治3年(1870)、庚午事変(稲田騒動)の後始末として、徳島県名東群田浦鎮座の県社国瑞彦神社より御分霊を勧請し、明治10年(1877)洲本八幡神社旧別当寺龍宝院跡に設立。その後境内整備を明治12年..
明治3年(1870)、庚午事変(稲田騒動)の後始末として、徳島県名東群田浦鎮座の県社国瑞彦神社より御分霊を勧請し、明治10年(1877)洲本八幡神社旧別当寺龍宝院跡に設立。その後境内整備を明治12年(1879)まで行い、本殿拝殿が建築された。 大正8年(1919)に最後の徳島藩主蜂須賀茂昭公を祭神として迎えた。 戦後、洲本市遺族会の強い要望により大東亜戦争で亡くなった郷土出身の方々を合祀。記念事業として、ご本殿の屋根の葺き替え、幣殿の建設、社務所(遺族会館を兼ねる)の改修などの境内整備が昭和30年代末(~1964)まで行われた。 (兵庫県神社庁HPより)
蜂須賀家政
有り