たなかふどうそん
神奈川県相模原市中央区上溝7丁目26
正徳2年(1712)ここ上溝村字田中に一人の山伏が表れ住むようになりました。宝龍院という庵を建立し、不動明王を祀ました。またこの人は権大僧都大越家宗山法師というお坊さんで、この宗山法師はある時近江の..
正徳2年(1712)ここ上溝村字田中に一人の山伏が表れ住むようになりました。宝龍院という庵を建立し、不動明王を祀ました。またこの人は権大僧都大越家宗山法師というお坊さんで、この宗山法師はある時近江の琵琶湖の道場で21日間の断食苦行を続け、21日目の満願の日に祭壇を設けて、海の幸・山の幸と、赤飯を供えて一心に経文を唱えておりますと、にわかに空が暗くなり、大雨となりそして龍神が現れて天に昇るのが目、赤飯を供えた飯台も見えなくなりました。苦行が終わると、飯台と一巻の巻物がありました。それには八大龍王と書いてありました。この八大龍王をお祀りする護摩堂も建てて、村人の幸せを祈願し大護摩を焚きました。信者も増して盛大でしたが、明和元年(1764)9月29日に亡くなりました。二代目知海院伊熱翁が91才で世を去り、三代目が傳燈亜闍梨仰天法院、四代目権大僧都亜闍梨智仙法師、五代目が権大僧都亜闍梨養仙法師となりましたが、この人には次のような言い伝えがあります。ある日小山村まえ祈祷を頼まれ、帰りが夜になってしまいました。小山から上溝までは道も狭く木が両端から覆い茂って狐や狸・狼等沢山いた時代です。山道を変えるとオオカミがこちらを見ているので、そばへ行って見ると何かの骨がのどにつかえて大変苦しんでいるようなので、気丈な法師はオオカミの口の中へ手を入れ骨を取ってやると喜んだ様子えした。そのまま田中まで帰って来ました。ふと後を見ると助けてやったオオカミがついて来てたのです。恩を忘れずに送ってくれたのでしょう。このように親切なお坊さんでしたが、この養仙法師も明治14年11月16日にこの世を去りました。後継者が無く同所の佐藤庄左衛門の三男の金兵衛という人を養子に貰いましたが後は継げませんでした。 その後、護摩堂を壊すことになり。中にあった二体の不動尊像は田中地区の守護神でありましたので、一体を田中に納め、もう一体は番田の安楽寺に納めました。 護摩の道具やほかの種々な宝物は、原町田の倉庫に大切に保管されていましたが、大火のために焼失してしまいました。 境内に在る石碑郡は、昭和6年に相模線の全面開通に伴い線路基盤の盛り土で名物の一本松が埋まるので、根元に在ったものを線路土手の反対側のこの場所に移設されたものです。 昭和30年9月10日、宝光寺第二十一世、性運住職の読経のもと、田中共和不動講中の主催で、不動明王石像の境内への奉安転座式が施行されました。 昭和45年1月8日に田中不動尊建設発起人会の努力により、不動明王のお社が建立され、お社を風雨から守る為に四本柱の上屋が建てられて、現在の姿になりました。 その後、講中の皆さんの高齢化に伴い、平成に年号が変わってからは暫く管理が疎かになっていましたが、平成19年8月に田中不動尊世話人会が発足し、此々を管理しています。
現在は、田中不動尊世話人会が管理
正徳2年 (1712年)
不動明王像
宗山
神奈中バス (大15) 田中住宅前バス停から徒歩1分 神奈中バス (大15) 北相前バス停から徒歩4分 JR相模線 上溝駅から徒歩8分
常時(参拝自由)
無料
10分未満(3分程度)
無し