せいりゅうじんじゃ
広島県府中市鵜飼町
芦品群志によれば、「維新前は清瀧大明神と称し、鵜飼の産土神なり、明治に至り現社地の名に拠りて盛山(もりやま)と改む」と記す。仁治3年(1242)に十輪院山頂の高丸に鎮祭せられたのが始まりと云う。その..
芦品群志によれば、「維新前は清瀧大明神と称し、鵜飼の産土神なり、明治に至り現社地の名に拠りて盛山(もりやま)と改む」と記す。仁治3年(1242)に十輪院山頂の高丸に鎮祭せられたのが始まりと云う。その後天正19年(1591)有馬久右衛門近貞が社地を改築し、遷座したと伝えられる。この時社名も古くは聖霊大明神(せいりょうだいみょうじん)と称し、延宝年間(1673~)の頃から明治2年(1869)まで清瀧大明神と改称し、神仏分離の令以後は盛山神社と改め、さらに昭和4年(1929)6月清瀧神社に改められる。
瀬織津姫神(せおりつひめのかみ) 岡象女神(みつはのめのかみ) 大山祇神(おおやまずみのかみ) 条大臣命(くめおおみのみこと)
1242年(仁治3年)に十輪院山頂の高丸に鎮祭せられたのが始まり【社伝】
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