みくるすじんじゃ
京都府綴喜郡宇治田原町南宮ノ上西
鎌倉時代前期に編纂された『宇治拾遺物語』によると、壬申の乱(672年)で大津京を脱出した大海人皇子(後の天武天皇)が奈良の吉野へ向かう途中にこの地で煮栗焼栗を埋めて戦勝祈願したのが起源と伝わります。..
鎌倉時代前期に編纂された『宇治拾遺物語』によると、壬申の乱(672年)で大津京を脱出した大海人皇子(後の天武天皇)が奈良の吉野へ向かう途中にこの地で煮栗焼栗を埋めて戦勝祈願したのが起源と伝わります。埋めた栗は芽生えて栗林となり、収穫された栗は宮中へ献上され、明治20年(1887年)まで続けられました。
天津彦根命
旧郷社
一間社流造
10月10日(田原祭/三社祭)
有り
有り 御栗栖神社を出て府道62号線沿い