しゅんぐうじ
北海道上川郡東神楽町東1線12-5
明治38年6月、炭屋実雄が京都から来道し、当現在地に説教所を開設したが、何か理由があったのか、2年後には後任者を決めて、説教所を去ることになる。 炭屋実雄が後任者の谷澤正道に宛てた手紙が何通が残..
明治38年6月、炭屋実雄が京都から来道し、当現在地に説教所を開設したが、何か理由があったのか、2年後には後任者を決めて、説教所を去ることになる。 炭屋実雄が後任者の谷澤正道に宛てた手紙が何通が残っており、北海道行きをためらう谷澤正道を説得する苦心の跡がうかがわれる文面である。説教所は神楽岡の高台の続きにあり、離宮造営地として設定されただけあり、上川盆地と大雪山を一望に収める風光明媚の地だった。 明治44年、辛苦の中で「春宮寺」寺号公称の許可を得た。 春宮寺のいわれは、この辺一帯が御料地であったので、皇族の安泰を祈る気持ちから、皇太子を意味する春宮とした。 本堂は大正6年の建立。寺近くのアオダモの原生林を払い下げてもらい、用材とした。建築には金釘は1本も使わず、大木を上手に用い、木組みで造られている。
神楽山
高野山真言宗
御本尊 大日如来 霊場本尊 十一面観世音菩薩
北海道三十三観音霊場 第15番札所
旭川空港から西へ2km
あり