だいじょうごんじんじゃ
大分県由布市狭間町篠原710
右保食神、伊邪那岐神、岩長姫神の三神は元京都に鎮座しその後加賀国 (石川県) 篠原村に遷座 ましました三柱にて、寿永年間源平争乱、平家の
余族北国に敗走するとき、同社の社司加藤兵部太夫が災害波..
余族北国に敗走するとき、同社の社司加藤兵部太夫が災害波及を怖れこの 三社神を奉体し篠原を去り豊後国姫島に移る。壇の浦の役後更に姫島から 同国洗の里に転じ、ここにて国安泰の時を待つ、これよりこの里を時待 ( 現在の挾間町大字時松)とす。或夜神託あり曰く「一里東南方に清潔なる 高山あり、その山頂に遷座せよ」と、太夫霊夢を感じ直ちに同山に奉遷し故郷の名を取り同地を篠原と名づけ小倉山三柱神と称す。代々藩主の崇敬 厚く、肥後藩十代藩主肥州太守細川越中守斎護公より神輿及び九曜紋付高 張堤灯の奉納あり、大友義鎮奉納の太刀等今尚保存す。
明治十二年に、阿須波神、波比岐神、市杵島姫命、素盞鳴男命、加藤清 正公の五神は元篠原村内の各小社に崇徳天皇、大歳神、武岩立神、素盞鳴 男命、櫛稲田姫命、大山津見命、天水分神、倉稲魂神、大国魂神、保食神 菅原道真公、加藤清正公霊の十二神は元小野村内各小社に鎮座せしを合祀
し、社名も大将軍宮・松原神社・保食神社と変遷を経たが大正十三年郷社 昇格を機に現在の大将軍神社と改称した。 古くから牛馬・農耕・交通の守護神として信仰され、遠近を問わず参詣
する者が絶えない。ちなみに豊後国志に「此祠、専桶,請牛馬之疾,云 と記されている。
牛馬など昔から農耕の家畜に関する信仰を集める
祭神保食神、伊邪那岐神、岩長姫神、阿須波神、波比岐神、市杵島姫命、
素盞鳴男命、大歳神、武岩立神、大山津見命、櫛稲田姫命、天水分神、
大国魂神、倉稲魂神、崇徳天皇、菅原道真公、加藤清正公
郷社
毎年一月と九月の十三日・十四日・十五日に大祭が行なわれる 令和6年は十三日と十四日の二日間のみ ※要 由布市ホームページを確認
なし
20分
有り