ふくとくじ
兵庫県神戸市中央区花隈町15-3
「福原西国霊場」第19番札所。 承元元年(1207)宗祖法然上人が、讃岐配流御赦免により、その帰洛途中、九条関白藤原兼実公建立の縁で、当寺に宿泊され、諸人を勧化したと伝えられる。 建武3年(13..
「福原西国霊場」第19番札所。 承元元年(1207)宗祖法然上人が、讃岐配流御赦免により、その帰洛途中、九条関白藤原兼実公建立の縁で、当寺に宿泊され、諸人を勧化したと伝えられる。 建武3年(1336)湊川合戦のとき、楠木正成公は、念持仏の十一面観音菩薩の尊像を、敵人の土足でけがしては恐れ多いとして、山麓の楠谷の一草庵、即ち当寺に安置して、心静かに自刃したといわれている。 そのことから、この尊像は『楠公箭請の観音菩薩』と称されている。 現在の平野浄水池が出来る以前、古井戸があって、その中から古い甲冑が掘り出されたが、恐ろしくなって再び元の処に埋めた。 また、勝負ガ池という池があったが、浄水池が出来たとき、埋められたと伝えられている。何れも寺跡と関係が深い。 天正8年(1580)戦国の世に、織田信長の家臣、池田恒興(信輝は俗説)親子により、花熊城陥落。その後に、当寺は楠谷の地より、この花隈の地に移されたという。 昭和20年(1945)第二次世界大戦の空襲で、伽藍は全焼し、寺院を含め、その周辺一帯が壊滅した。 昭和26年(1951)焼跡の地に、仮本堂が建てられた。 昭和54年(1979)仮本堂を解体し、本堂を再建、ようやく復興が成った。 (注:平成元年発行の福原西国霊場宝印帳の願成寺由緒より)
花隈城天守閣之址
花崗山
禅定院
浄土宗
知恩院
知恩院末寺
建久年間(1190-99)九条兼実(禅定殿下)による創立
阿弥陀如来
九条兼実 (禅定殿下)
花岡山 禅定院 福徳寺
福原三十三観音霊場 第十九番札所