いかるがじんじゃ
三重県四日市市茂福甲483
『延喜式神名帳』、伊勢国朝明郡の一社伊賀留我神社と考えられる。鵤村は『神鳳鈔』にいう「鵤ノ御厨房三丁目の地であり、当社名も古くは「斎宮大明神」とも呼ばれ、神屋との因縁も深く祭神が奉斎されてきた。御座..
『延喜式神名帳』、伊勢国朝明郡の一社伊賀留我神社と考えられる。鵤村は『神鳳鈔』にいう「鵤ノ御厨房三丁目の地であり、当社名も古くは「斎宮大明神」とも呼ばれ、神屋との因縁も深く祭神が奉斎されてきた。御座清直の『神社検禄』には当社所蔵の古祭文(現不詳)に貞観三年(八六一)、六人部津根呂が当社旧殿を新修したとすることを、『三代実録』、同年六月二〇日条の「伊勢国朝明郡六人部津根磨妻泰美豆岐一産三男賜稲三百束充乳母一人三ケ年間給以公粮」の恩賜を感謝してのこととする。鵤村は近世寛永年中南北二村に分れ、北は桑名藩の茂福村に、南は忍藩の羽津村に属することとなった。その後両村に祀られていた伊賀留我神社は安永八年(一七九九)本社末社の争論が起こったが、両社の資料がそろっていない今、これを論ずることは控えたい。
《主》大日孁貴命,《配》大山祇命
式内社(小)論社
10月第3日曜、祈年祭2月建国記念日、新嘗祭第4日曜