正傳寺は、岩付城主の太田(北条)氏房を開基と伝える古刹。江戸中期、明和7年(1770)に書かれた「聖徳太子由来記」によれば、時の岩付城主(太田)重郎氏房が信仰の証として摂津(現大阪府)四天王寺にあった聖徳太子像と面像を譲り受けて正傳寺に納めたと伝えられている。天正18年(1590)の小田原合戦時、正傳寺と太子堂は兵火のため焼失。再興のため、村人が寺の立木を切ろうとすると樫の大木に空いた洞が光っており、近づくと光の中に太子像があったという。村人は太子像自ら火災を逃れたのだろうと信心を肝に銘じ三間四方の御堂を建て安置したと伝えられる。 (白岡市教育委員会の小冊子を参考)