築城年代は不詳。鎌倉時代に波多野氏によって築かれたその居城とされます。波多野氏は、藤原秀郷の系譜の佐伯経範が祖とされ相模国波多野荘を本拠としていた有力土豪です。1221年の承久の乱では、波多野義重は右目に矢を受けながらも敵に矢を射返して奮戦したとされ、その戦功により吉田郡志比荘の地頭として入部し、越前波多野氏の祖となりました。波多野氏館を居館とし、波多野城は詰め城として機能し、戦国時代には朝倉氏に従い、朝倉氏による改修も入っている様です。1573年の一乗谷の戦いにおいて織田信長により朝倉氏が滅亡し越前が平定されると波多野城も廃城になりました。