やみやじんじゃ(すぎやま)
埼玉県比企郡嵐山町杉山671
勧請は45代聖武帝の御宇(724-749)。 その後、61代朱雀院の御宇、天慶2年(939年)2月、平将門が関東で謀反を起こし朝意に叛いた時に六孫王経基公が当村の旧城に出陣し、藤原秀郷・平貞盛が當..
勧請は45代聖武帝の御宇(724-749)。 その後、61代朱雀院の御宇、天慶2年(939年)2月、平将門が関東で謀反を起こし朝意に叛いた時に六孫王経基公が当村の旧城に出陣し、藤原秀郷・平貞盛が當國の精兵を募り将門を討した。この陣中では疫癘が流行し斃者(病死者)少なからず、社頭において朝敵征討・疫癘消除のため祈念したところ靈驗著しく、反賊は忽ち伏誅し、疫病はにわかに愈えた。経基公は当社を修繕し四方四種の村落に祀って八宮神社と号した。 (嵐山町web博物誌より一部判読)
建速須佐之男命 大己貴命 稲田比賣命