高崎山城は西日本最大級の山城で、1586年(天正14年)に起きた「戸次川の戦い」で島津軍に敗れた大友義統が逃げ込んだことで知られる城です。義統は一旦この城に入城して、さらに龍王城へ撤退しました。室町時代以降、大友氏の詰城として利用されていましたが、1593年(文禄2年)に大友氏が改易されると廃城となり、その石材は福原直高が府内城を築城するために転用しました。野生のニホンザルの生息地として有名な高崎山の山頂に位置しており、現在城址には登山道が整備されています。遺構としては土塁や石積、堀切のほか畝状竪堀群なども見ることができます。南山麓に登城口があります。