当神社は、その祭神大国主命の御子事代主命併八王子神にして、八王子神社と称せられた。この社殿境内御供田については、度々の検地の際、何れも除地として特別の取扱いがなされている。神社創建は今から凡そ千二百数十年前、霊亀年間、祭祀料として和泉を献じたというから、その当時この神を祀ったのだとも伝えられている。現存の記録によれば、今の社殿は、後陽成天皇の慶長16年(1611年)豊臣秀吉公の命により、片桐市正且元が、検地惣奉行として検地をなしたる時、御朱印地とし、神事として毎年、宮の月の行事として、神子湯あびの行事を行い、村中の祭典として参拝したとの事である。その後度々の検地の際にも御供田としての特別の扱いを受けてきた。その後さらに、明治8年御一新の際の宮改めにより、戎神社となり、毎年1月10日を祭典日と定め、1年中の幸福と一家繁栄の祈願を行って来た。
創建当時より、福の神としてあまねく崇拝され、年中の福を授からんものと遠近の人々数多押し寄せて瀬をなした事から福瀬と名付けたのが現在の町名となったともいわれている。ついで、明治41年1月、西園寺内閣当時の神社合併の際、下の宮八坂神社境内に遷宮せられたのであるが、戎神社の祭典は福瀬部落担当として執り行い、福の餅行列もなし来たのであった。昭和21年、旧横山村東西の氏神、八坂、男乃宇刀の2社合併、八坂神社廃社となるに際し、境内に合祀せられいたる戎神社の祭神は当時の部落長山抱清一郎、副部落長藤原良平等に捧持せられ、現在の地に復帰したのである。