築城年代は、武田信玄が駿河侵攻を開始し、今福友清・虎孝・昌和が当地に入って久能寺を他所へ移転した永禄11年(1568年)とされるが、これ以前の天文5年(1536年)に起きた今川氏輝の跡目争い花倉の乱の際に、玄広恵探派が当地を拠点としていることから(『高白斎記』)、既に今川氏時代に山寺兼城塞として機能していたとみられる。
天正10年(1582年)に武田氏が滅び、今福虎孝が自刃。今福昌和も戦死すると徳川家康の城となった。その後元和2年(1616年)に家康が死去し、御廟所(東照宮)となったことで城としての役割を終えたという。