加賀国守護の富樫政親と、弟幸千代の家督相続の争いの際、幸千代が拠点とした。富樫幸千代は浄土真宗高田派に同心していた。
一向宗 (本願寺派)の援助を受けた高尾城主・政親は、文明六年(1474年)に蓮台寺城を攻め、幸千代を滅ぼした。
政親は守護職を回復したが、一向宗は年貢を滞納するなど、政親を無視し始めたため、両者は不和となって行った。その後、長享二年(1488年)高尾城は一向宗に攻められ、政親は自害に追い込まれた。
冨樫氏滅亡後、南加賀一向衆の拠点になる大聖寺城の支城になり、南加賀一向衆が初めて軍事行動を起こした地と言われている。