いそのかみふつみたまじんじゃ
岡山県赤磐市石上字風呂谷1448
当社は「延喜式」神名帳、備前国赤坂郡六座のうちの「石上布 都之魂神社」にあたり、備前国総社神名帳百二十八社の中正二 位と記され御神徳の高い神社である。現在御祭神は素盞嗚命であるが、江戸時代後期、寛政..
当社は「延喜式」神名帳、備前国赤坂郡六座のうちの「石上布 都之魂神社」にあたり、備前国総社神名帳百二十八社の中正二 位と記され御神徳の高い神社である。現在御祭神は素盞嗚命であるが、江戸時代後期、寛政年 間に岡山藩土大沢惟貞が編纂の「吉備温故秘録」では「布都 御魂」明治初年編の「神社明細帳」「延喜式内神社・国史見在之神社」では「十握劒」を祭神と 記している。御祭神名の変更は、明治六年郷社列格の際と思われる。 いずれにしても素盞嗚命の大蛇退治の神話に起因する。日本書紀一書に「其の蛇を断りし劒 をぱ、號けて蛇之麁正(おろちのあらまさ)と曰ふ。此は今石上に在す」また一書に「素盞嗚尊、蛇の韓鋤(からさひ)の劒を 以て、頭を斬り腹を斬る、(中略)其の素盞嗚尊の、蛇を断りたまへる劒は、今吉備の神部の 許に在り。」さらに一書に「素盞嗚尊、乃ち天蝿断(あまのははぎり)の劒を以て、其の大蛇を斬りたまふ。」と 記す。総合すると素盞嗚尊が大蛇を切った劒は「蛇の韓鋤の劒」「天蝿断の劒」あるいは「蛇の 麁正の劒」で、吉備の神部のところ、石上にあることになる。「韓鋤の劒」は韓から伝来した刀 の意・「天蝿断の劒」は蛇を切った劒、すなわち韻霊剣(ふつのみたまのつるぎ)を祀ったのが布都魂神社である。 「吉備温故秘録」で大沢惟貞は記紀の神代巻・旧事記・神社啓蒙旧事紀・天孫本紀、古語拾遺・ 言金抄などから「私に曰、此数書を以て参考ふるに、上古素盞嗚尊、蛇を断の剣は当社(注石 上布都魂神社)に在事明かなり、其後、崇神天皇の御宇、大和国山辺郡石上村へ移し奉るとあ れ共、当社を廃されしとは見へず、又延喜神名帳にも大和国と当国に布都魂神社載せられたる は、当国石上神社を大和国に勧請して地名も石上といひしならん、さすれぱ、当国の石上本社なることも分明なりし」と す。寛文九年(一六六九年)時の備前藩主池田綱政が山頂にあった小祠を造営復興し、延宝二年(一六七四年)には神道 衰之古事を知る人の少なきを歎き広沢元胤に命じ社記を作らせ(一巻)、社領二十石を奉納した。その後累代の藩主(綱政 →継政→宗政→治政→斉政→斉敏→慶政→茂政→章政)崇敬懈りなく廃藩の時に至る。この間の藩主交替時には必ず折紙が 奉納された。 神剣(蛇の麁正・別名蛇の韓鋤・蝿断劒)は大和(奈良県天理市)の石上神宮にお移ししたということは石上神宮にもこ のことが記されている。「布都斯魂大神 素盞嗚尊の以って八岐大蛇を斬り給ひし十握劒の威霊を称奉る御名なり。
石上布都魂神社(いそのかみふつみたまじんじゃ)は、岡山県赤磐市にある神社。式内社、備前国一宮。旧社格は郷社。
素盞嗚尊
式内社(小), 備前国一宮, 旧郷社
不詳
流造
10月20日
有り