きたのてんじんしゃ
埼玉県所沢市小手指元町3-28-29
北野天神社は、景行天皇40年日本武尊東夷征伐の際に建立した物部天神社(延喜式内社)に比定され、さらに国渭地祇神社、出雲祝神社の延喜式内社3社を併せ祀っているといいます。欽明天皇12年には武蔵野小手指..
北野天神社は、景行天皇40年日本武尊東夷征伐の際に建立した物部天神社(延喜式内社)に比定され、さらに国渭地祇神社、出雲祝神社の延喜式内社3社を併せ祀っているといいます。欽明天皇12年には武蔵野小手指原の霊神及び日本武尊を合祭、長徳元年(995)には、菅原道真の子孫・武蔵国司菅原修成が京都北野天神を勧請し、坂東第一北野天神と称して祀るようになったといいます。
北野天神社(きたのてんじんしゃ)は、埼玉県所沢市にある神社。「物部天神社・国渭地祇神社(くにいちぎ-)・天満天神社」の総称として「北野天神社」と呼称される。旧社格は県社。
櫛玉饒速日命(物部天神社)、 八千矛命(国渭地祇神社)、 菅原道真公(天満天神社)
延喜式内社 旧県社
物部天神社国渭地祗神社天満天神社
武蔵野神社巡拜記
北野天神縁起七幅(室町時代初期の作品) 埼玉県指定文化財
有り