じんごうこうごうじんじゃ
山口県下関市豊北町大字神田上千七百番地
後宇多天皇の弘安年中(1278~)に蒙古軍が土井ケ濱に襲来した時に執権北條時宗の命を受けて此の地に派遣された武将が蒙古軍を撃退することの容易でないことを憂いて神功皇后新羅征討の故事を思い幣帛を奉って..
後宇多天皇の弘安年中(1278~)に蒙古軍が土井ケ濱に襲来した時に執権北條時宗の命を受けて此の地に派遣された武将が蒙古軍を撃退することの容易でないことを憂いて神功皇后新羅征討の故事を思い幣帛を奉って奉斎したところ神の御稜威が現れて蒙古軍を無事撃退出来た事を感謝し伏見天皇の正應元年(1288)正月二十九日から御祠の造営にかかり七月十日に成就した 社殿 寛永三年(1626)七月吉日 再建 現拝殿 昭和五十七年三月吉日 建立 ~由緒書き~
神功皇后、仲哀天皇、應神天皇、住吉三柱神、事代主神、蛭子神
正應元年(1288年)7月10日
11月8日
濱殿祭
有り