当天津神社は、天之御中主之大神様を祭神として、これの屋敷の里に御鎮座は古く約六百年の昔の事と言われている。御鎮座年代は詳ではないが神社の古書に記されている御事蹟によりますと往古幕張の庄に人皇五十代桓武天皇の皇子一品式部郷葛原親王の孫胤千葉介平常胤の子息胤信公城主となり、その子孫幕張の城主陸奥守平康胤の時代、領主の居城普請中幕張台の(古代よりお屋敷台と言われていた)現屋敷町に居住することになりそれ以後この地を馬加屋敷と称された、平康胤公は敬神の念厚く屋敷の里に天津神社を造営天之御中主之大神さまを勧請奉斎されたものであります。以後屋敷の守護神として領主住民の崇敬をあつめ御神威を今日につたえています。