かまがやはちまんじんじゃ
千葉県鎌ケ谷市鎌ケ谷1-6-1
当社の御祭神は、八幡大神と申上げ誉田別尊を奉祀する。 八幡信仰は九州の宇佐八幡宮に始まり、天平勝宝元年(七四九)東大寺大仏の完成を機に、東大寺の鎮守(手向山八幡宮)として、都に進出し、平安京に..
当社の御祭神は、八幡大神と申上げ誉田別尊を奉祀する。 八幡信仰は九州の宇佐八幡宮に始まり、天平勝宝元年(七四九)東大寺大仏の完成を機に、東大寺の鎮守(手向山八幡宮)として、都に進出し、平安京に都が移ると(七九四)京都の(石清水八幡宮)に勧請された。朝廷の信仰も厚く、殊に永承元年(一〇四六)源頼信が八幡大神を清和源氏の氏神としたので頼朝時代には神々の中でも八幡大神のみが特に崇敬され「廻国雑記標註」にも記されてる様に広く武人が守護神として尊崇する様になった。 頼朝が鎌倉に幕府を開き、鶴ヶ岡八幡宮を中心に祭政一致を理想として諸国に守護、地頭を置くに及んで中央より遠い地に補任された者ほど、源氏に因縁浅からぬ八幡大神を任地官衛の傍に勧請して一社を営んだ。 鎌倉幕府は延喜の制、下總小金五牧を踏襲し、新政のもと牧場野付の村に御家人、馬役人を配置執務せしめたが、これらの人々も朝夕兵馬の健全と武運長久を八幡大神に祈った。 鎌ヶ谷でもこの例に洩れなかったのであろう。当八幡神社もこうした八幡信仰の広がりを背景にして此の地に勧請されたものである。当社の創建年代は諸説あるも不詳、当地区は奈良、平安の昔より近世に至るまで世々天領なりしため差配宰領する者の交代屡々にして文書記録が任者と共に四散し、史実伝承は世情人心の変遷によって風化し、今俄に断定することはできない。 当社は古来兵馬守護の武神として信仰されたが、地元の人々の生活と結びついて勝運繁栄、子育て、安産の神として現在でも多くの人々の崇敬を受けている。 大祭は、十月十五日盛大に執行する。 (境内・御由緒書より)
八幡神社(はちまんじんじゃ)は、千葉県鎌ケ谷市鎌ケ谷にある神社である。地名から、鎌ヶ谷八幡神社、鎌ヶ谷八幡宮とも称される。旧社格は村社。
品陀和気命
旧村社
不詳(千葉県神社名鑑による) 1629年(寛永6年・鎌ヶ谷市史による)
吉橋大師八十八所第43番札所
10月15日
京成松戸線鎌ヶ谷大仏駅から徒歩で約4分
無し