宗像神社の創建は天武天皇の第一皇子である高市皇子とされる。母は筑前の宗像徳善の娘の尼子娘で、母方の氏神を祀り、創建したと伝えられている。元慶4年(880年)に官社に列した後、神階従一位となり、筑前の本社に準ずる大社となった。
当初、鳥見山の中腹にあったが興国二年(1341年)に渡辺渡との鵄(トビ)村(=当地一帯)での合戦により焼失し興福寺の支配下となり春日神社とその若宮を祭祀するに至った。その間宗像三神は三か所に祀り継がれたが、国学者の鈴木重胤氏の再興への尽力により万延元年社殿が完成した。その後春日神社の社号を廃し、宗像神社とし、明治二十一年現在のごとく宗像の神を中央の位置とした。