のきじんじゃ
島根県安来市能義町366
この神社の創立は古代にさかのぼる。出雲国風土記には意宇郡野城社と記され、延喜式には野城神社と記されていることからも推測できる。そして、中世からは能義宮とたたえられ、安来市はもとより、近郷に住む多くの..
この神社の創立は古代にさかのぼる。出雲国風土記には意宇郡野城社と記され、延喜式には野城神社と記されていることからも推測できる。そして、中世からは能義宮とたたえられ、安来市はもとより、近郷に住む多くの人々からの信仰が厚く、出雲の国の人々は今でも杵築の大神をはじめ、熊野の大神、佐太の大神、能義の大神を出雲の四大大神と尊称している。 御祭神である天穂日命は天照大神の第二子で、神代の神傑とたたえられた神である。命は天照大神の命令により、国譲りの使者としてこの地においでになった。しかし既に、大国主命がこの地方で農耕を教えたり、医薬を授けるなど、人々の生活を安定させ産業福祉や国土開発に尽力されていた。その姿にすっかり魅せられた天穂日命は、大国主命を助けて国土の奉献と開拓に偉大な功績を上げられた。そして、大国主命がお隠れになった後も、自ら祭主としてとどまられ、いよいよ無窮の国礎を固められたのである。 従って、朝廷のご尊崇も厚く、文徳実録や三代実録によれば、幾度も御神階の贈進を受けている。また、戦国武将等の崇敬も深く、多くの社領寄進の記録も残っている。 しかし、不幸なことに天災に遭い、右崖上の旧社地にあった社殿が焼失してしまった。現在の社殿は慶長十八年(1612年) 堀尾氏によってこの位置に再建され、以来十五回の造営を経て今日に至っている。 また、天穂日命は出雲国造千家・北島両家のご祖神であっ て、代々ご社参の古記があり、数々のご寄進の品や古文書が残っている。毎年十月十九日秋の大祭には、今もなお必ず出雲大社の千家宮司が親しく参拝される。
能義神社(のきじんじゃ)は、島根県安来市能義町に鎮座する神社である。旧社格は県社。
式内社(小)、旧県社
例大祭 10月19日 お田植え祭 5月15日 水無月祓え 7月31日 夏祭り 8月1日