しょうかくじ
山形県寒河江市本町三丁目6番2号
不動山正覚寺は山形県寒河江市本町3丁目に境内を構えている浄土宗の寺院です。正覚寺の創建は江戸時代初期の建長8年(1603)に最上義光の夫人の実家である大崎氏を弔う為、夫人を開基とし、義光が堂宇を造営..
不動山正覚寺は山形県寒河江市本町3丁目に境内を構えている浄土宗の寺院です。正覚寺の創建は江戸時代初期の建長8年(1603)に最上義光の夫人の実家である大崎氏を弔う為、夫人を開基とし、義光が堂宇を造営、岌讃専阿和尚(義光山常念寺住職:山形県山形市)を召還し開山したのが始まりとされます。一方、前身寺院とされる明王院は天正11年(1583)に創建されたとされます。 文禄4年(1595)、最上義光と大崎夫人の娘である駒姫が豊臣秀次(豊臣秀吉の甥、養子)の側室になると京都に上がりますが、輿入れしてすぐに秀次は秀吉の不快をかい切腹させられます。義光は嘆願しますが、その甲斐なく駒姫は連座され切腹、夫人も2週間後に原因不明の死(自殺?)を遂げ、この事件によって義光は潜在的に反豊臣方になり関が原の合戦では東軍側に付くきっかけになったと言われています。一般的に、正覚寺が大崎夫人の菩提寺と目されているようですが、明確な文献や記録が伝わっている訳ではありません。一方、正覚寺では寒河江城の城主で夫人(法名:月窓妙桂大禅尼)の息子である最上義康と共に当地で過した後に亡くなり境内に葬られたとし、正覚寺には夫人の遺品となった角盥や水差などが伝えられています。宗派:浄土宗。本尊:阿弥陀如来。
本町(ほんまち)にある浄土宗の寺院。
不動山
明王院
浄土宗
1603年
阿弥陀如来
不動山明王院正覚寺
寒河江西根長岡三十三ヶ所観音霊場第二十八番札所
有り