かんのんじ やまざきしょうてん
京都府乙訓郡大山崎町大山崎白味才62
寺伝によると、平安時代の昌泰2年(899)に宇多法皇が御願寺として創建されと伝えられます。 その後、衰退しますが、江戸時代初期に摂津箕面勝尾寺の僧・木食上人以空が、この地にあった聖徳太子の作と伝え..
寺伝によると、平安時代の昌泰2年(899)に宇多法皇が御願寺として創建されと伝えられます。 その後、衰退しますが、江戸時代初期に摂津箕面勝尾寺の僧・木食上人以空が、この地にあった聖徳太子の作と伝えられる十一面千手観世音菩薩を本尊とし、中興開山します。 それ以後、歓喜天を祀り、霊元、東山、中御門天皇の厚い帰依を受け、商売繁盛家運隆昌を願う住友家、鴻池家、三井家などの信仰や、京都、堺など商人の参詣を得て大いに発展します。 こうしたことで、本尊の十一面千手観音菩薩よりも 歓喜天への信仰によって、「山崎の聖天さん」として知られるようになり、江戸時代の観音寺は大いに賑わいます。山に向かって本堂の左側に、その歓喜天が祀られています。
しかし、江戸幕府末の禁門の変の際、元治元年(1864)、長州の尊皇攘夷派の部隊が山崎の地に陣を取ったことにより、戦火に巻き込まれることになります。山崎は幕府軍と長州派の戦いにより、天王山一帯は壊滅的な被害を受けます。 観音寺もこの時の火によって、事前に避難させた本尊の十一面千手観世音菩薩と歓喜天像以外を残して焼失してしまいました。 明治時代に入り観音寺は順次復興され、現在ある建物は西観音寺の本堂や、聖天堂や鐘楼などを移して再建されたものです。
妙音山
真言宗系単立
899年(昌泰2年)
十一面千手観音菩薩
寛平法皇(宇多天皇)
木喰以空
大悲院 浄聖坊 妙音山 観音寺
JR「山崎駅」より徒歩20分 阪急「大山崎駅」より徒歩20分
9:00-17:00
有り