みょうおういん
神奈川県鎌倉市十二所32
寛喜3年(1231年)鎌倉幕府4代将軍藤原(九条)頼経によって発願された寺で寺号の「寛喜寺」は発願の年号による。嘉禎元年(1235年)に落慶し鶴岡八幡宮別当の定豪が開山に迎えられた。 寺は寛永年間..
寛喜3年(1231年)鎌倉幕府4代将軍藤原(九条)頼経によって発願された寺で寺号の「寛喜寺」は発願の年号による。嘉禎元年(1235年)に落慶し鶴岡八幡宮別当の定豪が開山に迎えられた。 寺は寛永年間(1624 - 1644年)の火災で焼失し、その後再建されたものである。本尊として不動明王を中心とする五大明王像を安置するが、不動明王像のみが鎌倉時代のもので、他の4体は上記の火災後の造立である。不動明王像は作風から鎌倉時代の仏師・肥後別当定慶の作と推定されている。明王院は藤原頼経開基の寺院であるが、頼経の室・竹御所の一周忌の本尊仏を文暦2年(改元して嘉禎元年・1235年)5月、肥後法橋(定慶)が造立したことが『吾妻鏡』にみえ、頼経と定慶の関係を裏付けている
明王院(みょうおういん)は、神奈川県鎌倉市にある真言宗泉涌寺派の寺院。山号は飯盛山。寺号は寛喜寺。本尊は五大明王で、「五大堂」とも称される。鎌倉観音霊場第八番札所。
飯盛山
明王院
真言宗
真言宗 泉涌寺派
1231年(寛喜3年)
五大明王
定豪
藤原(九条)頼経
飯盛山 寛喜寺 明王院
五大堂
鎌倉観音霊場 第8番 鎌倉十三仏 第1番(不動明王)
約30分
無し