ちょうふくじ(ななつでら)
愛知県名古屋市中区大須2丁目28-5
天平7年(735年)、行基によって尾張国海東郡萱津(現・愛知県あま市)に開かれたのに始まる。当時の寺名は正覚院と称した。
延暦6年(787年)12月、紀是広が7歳で亡くなった我が子を弔う為に7..
延暦6年(787年)12月、紀是広が7歳で亡くなった我が子を弔う為に7区の仏閣と12の僧坊からなる七堂伽藍を建立したことから、以後、これに因んで七寺と呼ばれるようになった。七堂伽藍は仁和3年(887年)の水害や天慶4年(941年)の兵火により荒廃したが、仁安2年(1167年)、勝幡城城主・尾張権守大中臣安長が娘の菩提を弔うため、婿であった豊後守親実と共に計らって寺を現在の稲沢市七ツ寺町に移し、七堂伽藍と12僧坊を再建した。
長福寺(ちょうふくじ)は、愛知県名古屋市中区にある真言宗智山派の準別格本山寺院。山号は稲園山(とうえんざん)。七寺(ななつでら)とも称される。
稲園山
正覚院
真言宗
智山派
735年(天平七年)
聖観世音菩薩
行基
七寺(ななつでら)
「名古屋二十一大師霊場」 第2番札所 「東海三十六不動尊霊場」 第9番札所
木造観音菩薩坐像及勢至菩薩坐像・七寺一切経・黒漆一切経唐櫃(中蓋・内箱共)(名古屋市博物館寄託) 重要文化財
なし(近くにコインパーキングが複数あり)