とくだいじ(まりしてん)
東京都台東区上野4-6-2
当山(德大寺)は、江戸時代初めの寛永年間に慈光院日遣上人によって創建され、正式には日蓮宗・妙宣山德大寺と申します。 また、仏教の守護神である開運大摩利支尊天を奉安することから摩利支天德大寺とも称..
当山(德大寺)は、江戸時代初めの寛永年間に慈光院日遣上人によって創建され、正式には日蓮宗・妙宣山德大寺と申します。 また、仏教の守護神である開運大摩利支尊天を奉安することから摩利支天德大寺とも称し、下谷広小路(現在の上野広小路)に位置したことから下谷摩利支天とも呼ばれてまいりました。そもそも摩利支天とは、「威光」あるいは「陽炎」と訳され、常に日天に先んじて進み、大自在神通の力を以て昼夜の別なく光を放ち、参詣祈願の面々に「気力・体力・財力」を与え、「厄を除き、福を招き、運を開く」、福寿吉祥開運勝利を誓い給いし、諸天善神中最も霊験顕著なる守護神といわれ、我が国では古来より武士階級からの篤い崇敬を受けてきました。寺宝として奉安する摩利支天尊像は、江戸時代中期京都にて霊夢感得された御尊像と伝わり、宝永五年(西暦一七〇八)に当山へ安置されました。以来、聖徳太子の御作と伝わる御尊像に開運吉祥の利益を授かろうと、全国よりの絶えざる善男善女の参詣により山門は俄然活況を呈し、いつしかその門前通りは下谷広小路の摩利支天横丁と呼ばれるようになりました。その後、大正十二年の関東大震災、昭和二十年の戦災による火災類焼によって、堂宇は二度にわたり灰燼に帰しましたが、奉安の御尊像は幸いにもその都度焼失を免れてまいりました。そして終戦後の混乱期、闇市の形成などによる街並みの変化に伴い、移転再建が検討されながらも創建以来の此の地に留まり、昭和三十九年十一月、堂宇再建の悲願が結実され全伽藍の復興果たし、今日の姿に至っております。本堂正面に掲げられる扁額「威光殿」は、威光の化身たる大摩利支尊天の拝殿の意として、吉田茂総理大臣の揮毫により寄贈されたものであります。寛永の時代より凡そ四百年、寺社町として栄えた上野広小路に残る最後の寺院として今日も大摩利支尊天をお祀りし、有縁の清衆の現世安穏、後生善処の浄願を祈念致しております。 (境内・「摩利支天德大寺縁起」より)
徳大寺は、アメヤ横丁の商店街の中にある日蓮宗の寺院。開運摩利支天を祀ることから摩利支天山(さん)とも称される。 周囲を商店に囲まれた環境の中で立体構造型の特異な寺院様式を呈しており、参道上にアメ横周辺では異色の空間といえる境内が広がる。
妙宣山
日蓮宗
1624年~1644年(寛永年間)
大曼荼羅
慈光院日遣
妙宣山德大寺
下谷摩利支天
JR山手線御徒町駅から徒歩で約2分 東京メトロ銀座線上野広小路駅から徒歩で約2分 都営地下鉄大江戸線上野御徒町駅から徒歩で約2分 東京メトロ日比谷線仲御徒町駅から徒歩で約4分 京成本線京成上野駅から徒歩で約4分 各線上野駅から徒歩で約6分
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