むりょうじゅじ
茨城県鉾田市鳥栖1013
開基はもと三輪宗にはじまり、その道場として大同元年(806年)、平城天皇の勅願所として建てられました。その後、元久元年(1204年)に頓阿という僧によって住持され、禅宗に改められました。この頃、地頭..
開基はもと三輪宗にはじまり、その道場として大同元年(806年)、平城天皇の勅願所として建てられました。その後、元久元年(1204年)に頓阿という僧によって住持され、禅宗に改められました。この頃、地頭村田形部少輔の妻が十九才で他界し、迷った魂が冥土に行けず毎夜あらわれるため、地頭はもちろん土地の人たちも途方にくれ、寺僧も寺も廃業同様の有様になってしまいました。困りきった村人たちは、親鸞聖人が笠間の稲田草庵(西念寺)より鹿島神宮へ参詣するため近辺を通ることを知り、毎夜あらわれる幽霊をとりしずめてもらうようお願いしました。このことを契機として暫住すること三年、寺の名前を無量壽寺と改め、あとを弟子の順信房に譲り、阿弥陀仏信心の布教に専念しました。
光明山
無碍光院
浄土真宗
本願寺派
大同元年(806年)
阿弥陀如来
順信房
親鸞聖人二十四輩霊場 第三番札所(順信房信海)
国指定文化財(絵画):紙本著色拾遺古徳伝 県指定文化財(書跡):無量壽寺御文章 県指定文化財(天然):菩提樹 県指定文化財(建造物):本堂、鐘楼、山門
鉾田駅からバスで10分
無料
有り