おかじんじゃ
滋賀県米原市間田96
白雉元年(650年)、出雲国出身の人が大原野を開拓し、出雲井と名付けて定住した。出雲の人はさらに、出雲井の五穀豊穣と郡(むら)の安寧を祈るために開拓地を見わたせる岡山に祀堂を建立し、万物根源の神と皇..
白雉元年(650年)、出雲国出身の人が大原野を開拓し、出雲井と名付けて定住した。出雲の人はさらに、出雲井の五穀豊穣と郡(むら)の安寧を祈るために開拓地を見わたせる岡山に祀堂を建立し、万物根源の神と皇産霊大神(大梵天)を勧請したことがはじまりとされる。 創建から鎌倉時代前期までの記録ははっきりとしていない。宝治元年(1247年)、佐々木左右衛門太夫重綱が大原庄十八郷を領したことから大原氏を称した。大原氏は何代にも渡って領主をつとめ、神社を復興した。大原秀義・持時・持綱などが、御供料として年々百貫を寄せた記録があり、崇敬の厚かったことが伺われる。 かつては伊吹山四大護国寺のうち、弥高寺の末寺・松林坊(真言宗)が別当寺(神仏習合のもとで神社を管理していた寺のこと)となっていた。だが、四大護国寺のひとつ・観音寺(観音護国寺)の寺僧が祭礼を司っていたこと、文明8年(1476年)に観音寺本堂の建立にあたって境内の松四本を観音寺側へ差し出していることから、観音寺とも深い関係であったことがわかる。 江戸期には下司村(現・長浜市宮司町)の総持寺とのつながりが深くなり、元禄5年(1692年)に「神宮山大勝院長久寺」という寺号を氏子中で賜りに行った記録が残っている。 『近江輿地志略』には「延喜式神名帳の岡神社間田村にあり」とあるが、式内社の岡神社は諸説あって定かではない。ただし、護国寺の管理の下で祭祀がなされていたことを考慮すれば、当社が式内岡神社であったことは有力な説と言える。
皇産霊大神(すめむすひのおおかみ、大梵天皇神 / だいぼんてんのうしん) ほか六柱
650年 - 654年(白雉年間)
三間社流造
5月1日
○自家用車 ・北陸自動車道長浜I.C.より国道365号線を関ケ原方面へ約10分 ・関ヶ原I.C.より国道365号線を長浜方面へ車で約15分 ○公共交通機関など ・JR東海道線近江長岡駅より、タクシーで約5分 ・JR東海道線米原駅よりタクシーで約20分 ・JR北陸線長浜駅よりタクシーで約20分
無料
有り(境内)
有り