はらはちまんじんじゃ
香川県高松市牟礼町原651
幡羅八幡神社(はらはちまんじんじゃ)は香川県高松市牟礼町にある神社。 播羅郷の氏神、当神社は遠く奈良時代、持統天皇八年(694年)藤原房前がこの地に春日神社を勧請されたのに始まる。そしてその名..
幡羅八幡神社(はらはちまんじんじゃ)は香川県高松市牟礼町にある神社。 播羅郷の氏神、当神社は遠く奈良時代、持統天皇八年(694年)藤原房前がこの地に春日神社を勧請されたのに始まる。そしてその名も「藤前明神」と俗称され人々の信仰の的となり、藤前踊りという大変珍しい踊りが奉納され、やがては全国200社の一つの大社に数えられたと記されている。 しかし時代が源氏の勢力が強まり、ついには承平六年(936年)八月に1郷1八幡の勧請が行われ、幡羅郷も八幡神社を勧請した。しかしその時は春日神社(藤前明神)の信仰が大変大きく、為にその祭りは境内末社として続けられた。 その後、天歴五年(952年)、万寿元年(1024年)、寛治六年(1087年)、治承二年(1179年)、建仁三年(1204年)、文永三年(1267年)、永亨十年(1439年)と度々の御遷宮が続けられ元の御本殿は、万延元年(1860年)に再建されたもので、今のお社は昭和四十九年(1974年)に改築されたものである。 境内愛染の御山には、浅間烏という白い烏が住んで居り、人々は神使として崇めたと伝えられている。 また、源平の戦の時、義経が拝殿で夜を明かしたと言われており、明松という大松が近年まで残っていた。明治時代には乃木大将も参拝している。 幡羅郷は古くは三木郡に属しており、古事類苑によれば現在の大字牟礼の一部大字大町大字原(一説には志度の一部)から成り、山手を陸村、海沿いを浜村と呼んでいた。 当神社では、昭和十五年(紀元2600年)より毎年秋の大祭には、楽人6名、御琴、舞姫8名による浦安の舞が厳かに奉納されている。 平成二年(1990年)より御大典を記念して、春季祭奉納行事として「はらハラ腹相撲」という子供が腹にザルをつけ、腹と腹をぶつけて相撲を取る珍しい行事が奉納されている。 名称の由来は神社の播羅(はら)と地名の原(ハラ)を、そして腹と神社と地域と人が一つになることを意味したもの。
幡羅八幡神社(はらはちまんじんじゃ)は香川県高松市牟礼町にある神社。
応神天皇(おうじんてんのう=誉田別尊・ほむだわけのみこと) 天児屋命(あめのこやねのみこと=春日大明神・かすがだいみょうじん)
持統天皇八年(694年)
琴平電鉄(ことでん)志度線「房前」駅より徒歩約3分 高松自動車「志度」IC出口より約10分
無料
有り(無料)