いちかばんいなりじんじゃ
静岡県静岡市葵区鷹匠1-8-5
寛永八年(1631年)駿府城主・駿河大納言忠長卿(二代将軍・徳川秀忠の第三子)が、将軍の怒りに触れて甲斐國で謹慎した後は、幕府は駿河國を直轄領とし、城主を置かず重臣の内から駿府城代を任命して庶政を..
寛永八年(1631年)駿府城主・駿河大納言忠長卿(二代将軍・徳川秀忠の第三子)が、将軍の怒りに触れて甲斐國で謹慎した後は、幕府は駿河國を直轄領とし、城主を置かず重臣の内から駿府城代を任命して庶政を一括管理し、城代を支えて城外の守衛に当たらせるために在番一年の役として加番を勤めさせるように、紺屋町に一加番屋敷を設けた(これを紺屋町加番或は町口加番屋敷という)。 初代一加番には、信州飯田城主「脇坂淡路守安元」が寛永九年(1632年)十二月に着任した。 この加番開設にあたり、三千二百余坪の屋敷内の浄地を選び社殿を建て寛永十年(1633年)山城国伏見稲荷神社の創祀と伝えられている。 その後、慶安四年(1651年)に「由井正雪の乱」があり、一加番は府城に近い横内御門前(現在の鷹匠一丁目)に移され、これに伴い当稲荷神社も新屋敷内に遷宮された。しばらくして創祀から文久元年(1861年)に至るまで、二百三十年間歴代の加番は折々に鳥居、灯篭等を献納し、年々の祭祀を厳修して崇敬の誠を尽くしてきた。 明治維新に至り、加番屋敷癈邸後は鷹匠町一丁目の産土神として、明治十一年に当寺の政府から存置が許可されて一般市民の崇敬の神社となり、昭和二十年六月戦災に依り社殿、工作物悉く焼失したが氏子の奉賛に依り復興し、地域の区画も整理されて面目も一新し、当神社の信仰は市の内外に広まるに至った。 なお「加番」とは、幕府の職制の名称で、駿府勤番組頭。駿府勤番に加えて城外警備の役を担った故の名前である。当初、一加番(町口)・二加番(鷹乃森)であったのが由井正雪の乱を機に、三加番(草深)が増設された。
御祭神は、保食大神、御別名を豊宇気比売神、又、食稲霊神と申し上げ、稲・五穀の精霊神と尊まれ、衣食住の神、商売繁昌、厄除開運、無病息災、延命長寿の守護神として広く信仰されている神である。
保食大神(うけもちのかみ)
寛永八年(1631年)
歳旦祭1月1日、節分祭2月3日、例祭5月5日、秋祭11月25日
・静岡鉄道「新静岡駅」鷹匠口(新静岡セノバ)から徒歩で約1分(約70m) ・JR静岡駅北口から徒歩で約7分(約600m) ・東名高速道路「静岡IC」から車で約15分(約4.5km) ・新東名高速道路「新静岡IC」から車で約20分(約8.5km)
終日
無料
約10分~
無し(近隣の有料Pを利用)
無し