げっけいいん
岐阜県揖斐郡揖斐川町長良72
天正9年(1581年)、清水城主・稲葉良通が没した妻(三条西実枝の娘)の菩提を弔うため、湖南宗岳を招いて妻の邸宅跡に臨済宗の寺院として開かせた。寺の名は妻の法名・弘徳院殿月桂周芳大姉にちなんで少林山..
天正9年(1581年)、清水城主・稲葉良通が没した妻(三条西実枝の娘)の菩提を弔うため、湖南宗岳を招いて妻の邸宅跡に臨済宗の寺院として開かせた。寺の名は妻の法名・弘徳院殿月桂周芳大姉にちなんで少林山月桂庵とした。 天正17年11月19日(1589年1月5日)、良通が没した。良通は「清光院殿前三品法印一鉄宗勢大居士」の法名で月桂庵に葬られた。月桂庵は清水藩主となった良通の庶子・重通とその子・通重によって菩提寺として保護された。 慶長12年(1607年)、稲葉通重の狼藉で清水藩が廃藩になると、月桂庵は後ろ盾を失って衰退した。 延宝7年(1679年)、彦根藩主・井伊直興が稲葉家との縁から月桂庵が荒れていることを悩み、大和禅源寺の住職・月渚舟和尚を招いて寺を再興し、良通の法名からとった清光山の山号をつけ、月桂院の名で曹洞宗に改めた。
長良にある曹洞宗の寺院。同派東海管区岐阜県第3教区に所属している。
清光山
曹洞宗
1581年(天正9年)
地蔵菩薩
湖南宗岳
稲葉良通
1679年(延宝7年)
月渚舟
清光山月桂禅院
西美濃三十三観音第4番札所
稲葉一鉄の墓(岐阜県指定史跡)
無料
有り(境内南側、境内西)