かたおかのうまさかのみささぎ
奈良県北葛城郡王寺町本町三丁目
孝靈天皇:欠史八代の一人で実在性に乏しく、詳細資料も少ない。 第6代孝安天皇の皇子で26歳の時に立太子、父の崩御に伴い51歳で即位し、第7代天皇となる。 都は現在の奈良県磯城郡田原本町黒田周辺と..
孝靈天皇:欠史八代の一人で実在性に乏しく、詳細資料も少ない。 第6代孝安天皇の皇子で26歳の時に立太子、父の崩御に伴い51歳で即位し、第7代天皇となる。 都は現在の奈良県磯城郡田原本町黒田周辺と伝承される黒田廬戸宮で、法楽寺境内に「黒田廬戸宮阯」碑が建てられている。 1471年に李氏朝鮮で書かれた海東諸国記には「孝霊天皇即位72年、秦の始皇帝に遣わされた徐福が仙福(不老不死の薬)を求めて紀伊まで至り、死後に土地の人から神と崇められ祀られた」とあり、海外との関係が既にあったことがうかがえる。 鳥取県伯耆町溝口には孝靈天皇にまつわる日本最古の鬼退治の伝説があり、大いに喜んだ里人たちは鬼退治に使用した笹の葉で屋根を葺いた神社を作り、これが楽楽福神社(ささふくじんじゃ)の始まりと言われ孝靈天皇を主祭神としている。 日本書紀では即位76年(BC215年)に崩御。享年は128歳であったと記されている。
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