さくらもとのみささぎ
京都府京都市左京区鹿ヶ谷法然院町
冷泉天皇:第62代村上天皇の第二皇子であったが、異母兄の広平親王を押しのけて生後間もなく立太子。時の権力者である藤原実頼・師輔の兄弟の力が働いていたと思われる。 皇太子の時代から気の病があり、奇妙..
冷泉天皇:第62代村上天皇の第二皇子であったが、異母兄の広平親王を押しのけて生後間もなく立太子。時の権力者である藤原実頼・師輔の兄弟の力が働いていたと思われる。 皇太子の時代から気の病があり、奇妙な行動が目立つようになる。 ①足が傷つくのも全く構わず、一日中蹴鞠を続けた。 ②幼い頃、父帝(村上天皇)に手紙の返事として、男性の陰茎が大きく描かれた絵を送りつけた。 ③清涼殿近くの番小屋の屋根の上に座り込んだ。 ④病気で床に伏していた時、大声で歌を歌っていた。 ⑤退位後に住んでいた御所が火事になった折、避難するときに牛車の中で大声で歌を歌った。etc… 康保4年(967年)、村上天皇の崩御を受けて18歳で第63代天皇に即位するが、皇太子時代からの奇行を問題視され、補佐として藤原実頼が関白につき早々に後継者(皇太子)の検討に入る。 天皇の弟2人が候補に上がり、 「左大臣源高明が推す為平親王」と「右大臣藤原師尹が推す守平親王」との対立に発展。 藤原氏の後ろ楯を受けて、皇太子には守平親王が立ち、源高明は左遷されてしまう。 天皇は在位2年で守平親王(圓融天皇)へ譲位して太上天皇となり冷泉院と呼ばれ、上皇生活を42年過ごした後、東三条南院にて62歳で崩御。 自らの子女を含む後の3代天皇よりも長生きしている。
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