くまのじんじゃ
広島県安芸郡海田町上市4−1
当神社は、人皇第六十八代後一條天皇の御代萬寿三年(1026)に紀州熊野大社より勧請と伝える。 戦国期領主、阿曽沼氏により再建され、江戸時代、海田市の繁栄とともに総氏神新宮社として、氏子万民の尊崇を..
当神社は、人皇第六十八代後一條天皇の御代萬寿三年(1026)に紀州熊野大社より勧請と伝える。 戦国期領主、阿曽沼氏により再建され、江戸時代、海田市の繁栄とともに総氏神新宮社として、氏子万民の尊崇をうけた。 芸藩主浅野公の信仰厚く鷹の羽の定紋を許され国家安穏、五穀豊穣等神明の加護を祈った。 このほか藩士、藩儒の家内安全祈願、綿作、牡蠣養殖、豊作祈願等において霊験あらたかで神威明照御神徳高く氏子万民の諸祈願所として尊崇篤き神社である。 その後明治六年社号を熊野神社と改めた。 熊野神社由緒書きより
速玉男神(はやたまのおのかみ)・伊邪那美神(いざなみのかみ)・奥津事解男神(よもつことさかのおのかみ)
萬寿三年(1026年)
山陽本線海田市駅 から徒歩約7分