ほうそうじんじゃ
広島県広島市南区堀越3丁目22
源義朝の死後、その側室であった常盤御前は三人の子どもを連れて平清盛の所へ助命嘆願に行きました。 そしてその後に生まれたのが『天女姫』であり、従って源義経とは異父同腹の兄妹です。 姫はその名の..
源義朝の死後、その側室であった常盤御前は三人の子どもを連れて平清盛の所へ助命嘆願に行きました。 そしてその後に生まれたのが『天女姫』であり、従って源義経とは異父同腹の兄妹です。 姫はその名の通り天女にも似た美女でしたが、不幸にも疱瘡病(天然痘)という病気に罹り、清盛は全国の名医を集めて治療に専念いたしました。 しかし病は容易に癒えず、「この上は平家の守り神である厳島明神の力におすがりする外ない」と治承三年(1179)二月上旬に、姫を船に乗せ沢山の女官・従者を従えて、海路二十六日宮島に参着し、祈願の後帰路に就きましたが、急に病状が悪化し二月二十九日に姫は十四才を一期に息を引き取りました。 清盛は止む無くその遺骸を埋葬すべき所を神に伺ったところ「これより東方七里、赤旗の建っている場所こそ埋葬の地である」とのお告げに従い、遺骸を船に乗せ東方向灘の浦まで漕ぎ来ると、まさしく赤旗の建っている丘があり、「ここぞその場所」と考え、金銀十二枚、手玉七つ、玩具類七個と、姫が肌身離さず持っていた一寸八分の黄金仏などを副葬品として埋めて、そのしるしに『せんだんの木』を植えておきました。 そして、その場所から東方八間の所に四間四方のお堂を建てて、本尊に阿弥陀如来を祀り、その脇に十二単で身を飾った姫十四歳の立ち姿の木像を置き、入魂の秘法を行い本尊に配し祀ったと古伝にあります。 その場所が昔からこの場所と伝えられています。 ~疱瘡神社の由緒より~
天女姫神
治承三年(1179)
東堀越バス停より徒歩約10分