ななきじぞうそん
福岡県久留米市長門石5丁目4-4
七木地蔵尊は古来霊験あらたかな地蔵尊として知られ、以前は平家伝説にまつわる両道院にあって、七種の巨木が幹を一つにしたようにそびえ立つ根元に鎮座していたという事から、七木地蔵の名が親しまれている。由来..
七木地蔵尊は古来霊験あらたかな地蔵尊として知られ、以前は平家伝説にまつわる両道院にあって、七種の巨木が幹を一つにしたようにそびえ立つ根元に鎮座していたという事から、七木地蔵の名が親しまれている。由来について確実な文献はないが、2,3の伝説はある。 昔、長門石字道場に両道院という寺があり、その跡に玉ノ井地蔵という通俗には七木地蔵といわれる地蔵があった。元亀元年(1570)-天正元年(1573)の頃、肥前の龍造寺隆信が、大友宗麟を攻めるため出陣の途中、この寺に戦勝を祈り、祈願成就に寺僧の願いを入れて、毎年洪水に苦しむ同地から浸水のない肥前千栗に移したのが、現在の大法寺である。ところがこの石仏だけはもとの寺院に帰ってきたという。(昭和12年金文堂発行の篠原正一氏著「久留米めぐり」による) また、現在地蔵尊の前に、昭和29年8月再現された碑には、「古来長門石の地を鷲野原といい、千歳川に包まれた島で、長門石弁財天島といった。その川沿いに大樟があってそこに、五格寺があった。平重盛の建立と言いつたえられ、その一宇両道院の一隅にこの地蔵があった。 両道院を千栗の大法寺に移した時、この地蔵尊が夢枕に立ち、長門石の地に帰りたいと言った。寺院は肥前千栗に移転したが、この地蔵尊は元の地に残った。 現在の地蔵尊の位置から約200mばかりの所に八幡宮があり、その地が五格寺の跡と言われる。
久留米市の市街から筑後川を挟んで西側の長門石地区に、七木地蔵尊(ななきじぞうそん)という立派な地蔵堂があります。
長門石七木地蔵尊
毎月4日・14日・24日 が「恩日」となっています。 1月4日初地蔵 1月14日鏡開き(新年大祭) おぜんざいの接待あり。 4月14日春季大祭 8月24日秋季大祭 弁財天恩日
西鉄バス(40)番利用「長門石」バス停下車徒歩1分
有り