なかごとじんじゃ
和歌山県海南市黒江933
万葉の太古より歌枕として『萬葉集』に詠まれている黒牛潟は当神社の境内周辺の地で、『紀伊続風土記』にこの地古海の入江にてその干潟の中に牛に似たる黒き石あり、満潮には隠れ、干潮には現る 因りて黒牛潟と呼..
万葉の太古より歌枕として『萬葉集』に詠まれている黒牛潟は当神社の境内周辺の地で、『紀伊続風土記』にこの地古海の入江にてその干潟の中に牛に似たる黒き石あり、満潮には隠れ、干潮には現る 因りて黒牛潟と呼ぶ とあり。 この小高い丘の上に、嵯峨天皇の弘仁3(813)年に紀伊国司が鎮守の神として八王子命を祀り、後に上代の海草地方の統治者名草彦命、名草姫命2柱の御祭神は五箇荘吉原村に鎮座したが、中世南北朝の頃、冬野村に動座し、文和3(1354)年国造左京大夫度会貞国がその霊爾を奉じて八王子社の側に奉遷し、中言神社と称した。
JRきのくに線 黒江駅から徒歩10分