きのみやいなりじんじゃ
埼玉県入間郡三芳町藤久保1026
当地の開発は、正保年間から元禄年間にかけて行われたと伝えられ、藤久保の地名は、その昔、地区の東にある窪地に大きな藤の木があったことによるという。 当社は『藤久保村神社書上(文政元年寅九月)』による..
当地の開発は、正保年間から元禄年間にかけて行われたと伝えられ、藤久保の地名は、その昔、地区の東にある窪地に大きな藤の木があったことによるという。 当社は『藤久保村神社書上(文政元年寅九月)』によると、寛文元年丑一〇月、当地を領した中山治左衛門が大阪在番の折、稲荷の神が藤久保に下るという夢を見たところから、紀州の良材を当地に送って稲荷社を建立したことに始まる。以来、木宮と称し、勧遷の日を記念して一〇月一三日を祭日としていた。また、後に松平右京亮の志願により正一位の神階を受けたという。『風土記稿』には「木の宮稲荷と呼、東乗院の持なり」とあり、更に別当東乗院について「木宮山と云、本山修験、下南畑村十玉院配下、本尊は不動なり、起立の年歴詳ならず其先祖は摂津国大坂の人にて鈴木を氏とせしと云」と載せている。このように紀州や大阪の人鈴木と説かれていることから、当社の創建は熊野修験がかかわっていることがうかがわれる。 祀職は、神仏分離後、別当東乗院が復飾して神職となり当たっていた。境内社の浅間宮石祠に「明治十六年七月十日 祠掌鈴木文昌」がある。明治三四年鈴木家に替わって小野沢平が社掌となり、次いで林豊次、金子敬輔、同元と継いでいる。 明治四〇年、東乗院境内の八坂社・浅間社を境内に合祀した。
宇賀豊受比売神
旧村社
寛文元年(1661)
春大祭:4月中旬 秋大祭:10月8日
有り。普段は入口は封鎖されてます。
無し。