りゅうしょうざん しょうこくじ
神奈川県横浜市南区蒔田町932
この付近を治めた足利氏の一族である吉良家は、後北条氏とも姻戚関係にあり、中世後期の室町時代には、この蒔田の地で「蒔田御所」と称せられた館を構え、将軍家の一家として諸侯から一目置かれる存在でした。 ..
この付近を治めた足利氏の一族である吉良家は、後北条氏とも姻戚関係にあり、中世後期の室町時代には、この蒔田の地で「蒔田御所」と称せられた館を構え、将軍家の一家として諸侯から一目置かれる存在でした。 龍祥山勝國寺は、館が存在した丘陵の下に位置し、文明十一年(1479年)に吉良左京太夫政忠公の父頼高の供養の為建立したとされる。 開基以前は霊応寺とされていたが、政忠公の開基により勝國寺と改め寺格が昇格した。 その寺名は吉良政忠公の法号「勝国寺殿昭岳道旭大居士」と一致し、その子成高が父の追善の為に創立した節もあると考えられています。 ちなみにこの吉良政忠公は、世田谷城主として文明十二年(1480年)には亡くなった頼高の娘の為に豪徳寺を建立してもいる。 開山は、武蔵国一帯に独特の禅風を挙揚した天永琳達大和尚である。元禄四年(1691年)諸堂伽藍、鐘楼等を配していたが無住時代があり、また元禄の厄が重なり焼失した。 その後、横浜開港を境にして地域人口が増加し多くの檀信徒の帰依を見たが大正十二年(1923年)の関東大震災にて本堂は倒壊した。 昭和四年(1929年)現在の一大本堂を建立し、諸堂を整備し現在に至っている。
龍祥山
曹洞宗
文明11年(1479年)
天永琳達大和尚
吉良左京大夫政忠
横浜市営バス (219) みつが丘中央バス停から徒歩5分 神奈中バス (11) 榎町二丁目バス停から徒歩7分 横浜市営地下鉄ブルーライン 蒔田駅から徒歩10分
無料
30分
有り
無し