あだちじんじゃ
埼玉県さいたま市西区飯田54
『延喜式』神名帳には、武蔵国足立郡内の神社として、氷川神社・足立神社・調神社・多気比売神社の四社の名が記されている。これらの諸社のうち、足立神社は、古代における殖田郷に鎮座し、この殖田郷を本拠地とし..
『延喜式』神名帳には、武蔵国足立郡内の神社として、氷川神社・足立神社・調神社・多気比売神社の四社の名が記されている。これらの諸社のうち、足立神社は、古代における殖田郷に鎮座し、この殖田郷を本拠地とした在地の豪族足立氏が奉斎した神社であったものと思われる。しかし、長い年月の間に衰微した時期があったためか、江戸時代は足立神社を称する社が幾つかあるという状況になった。 植田村本村に鎮座していた足立神社は、『風土記稿』にも「名主勘太夫が屋敷の内にあり(中略)神名帳に載する足立神社は、即当社なりと伝」と載るように、式内社の有力な候補とされてきた社である。また、水判土村にも足立神社があり、慈眼寺の裏手の、ちょうど大宮台地の指扇支台の最南端に当たる所に鎮座し、村の鎮守として祀られていた。このほか、水判土村の山王塚にも足立神社が祀られていたという伝えもある。 一方、飯田村では、下組は氷川神社、上組は氷川八幡神社を鎮守として祀っていた。そのうち下組の氷川神社が明治六年に村社となり、明治四十年、政府の合祀政策に従って、そこに当時の植水村内にあった村社及び無格社計三〇社を合祀した。その中には、植田村本村と水判土の足立神社も含まれており、この合祀を機に氷川神社の社号は足立神社と改められた。
埼玉県さいたま市西区に鎮座する式内社論社
天神七代尊、地神五代神、日本武尊、市杵島姫命、多岐都比売命、猿田彦命、大国主神、天手力男神、菊理姫命、倉稲御魂命、応神天皇、菅原道真
式内社(武蔵国足立郡 足立神社)論社 旧村社
4月25日
有り