ほうぞうじ
宮城県栗原市栗駒稲屋敷愛宕47
開山は、延暦年中征夷大将軍、坂上田村麻呂公が蝦夷平定に東北へ御下向の節、愛宕大権現を祀って戦勝を祈哲せられ、凱陣の初りに、国家安電、五穀豊饒を祈念して、賞字を建立された時と伝えられ ている。天正十..
開山は、延暦年中征夷大将軍、坂上田村麻呂公が蝦夷平定に東北へ御下向の節、愛宕大権現を祀って戦勝を祈哲せられ、凱陣の初りに、国家安電、五穀豊饒を祈念して、賞字を建立された時と伝えられ ている。天正十九年、愛宕宮の別当、上品寺が九戸征伐の後、廃寺となった為、元和5年(1619年)開山、当地に法蔵寺が開基され別当寺となる。 近隣、二十数ヶ寺中「大日如来」の寺院は無く、多くの如来信仰をあつめ又密教祈禱寺として不動明王のご利益を授け、愛宕菩薩は戦勝の守護神として、身代り、ハダ守り、心願成就を祈る為の諸人の参詣はいつの世も絶えなかったという。近年は水子供養の菩提所として、ボケ除け守、ポックリ守の寺として、栗原一円並に岩手ーノ関方面からの篤いご参詣がつづいている。又往時、天台の七堂価藍を有し、豊臣の武将が集結したこの上品寺跡地に、俳聖 松尾芭蕉も足をとめたと伝えられている、
愛宕山
地蔵院
真言宗
智山派
大日如来
延暦年中征夷大将軍、坂上田村麻呂公
元和5年(1619年)
奥の細道 みちのく路三十三ヶ所霊場、第十二番札所、百八地蔵尊札所
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有り