みょうきゅうじ
岐阜県岐阜市三輪805-1
建武元年(1336年)、日像上人によって加茂郡市平賀村に蓮國寺の名で創建された。 慶長12年(1607年)、代官・栗原加賀守が住職・権大僧都日経上人に帰依した。栗原は寺を招聘して山県郡三輪村(現・..
建武元年(1336年)、日像上人によって加茂郡市平賀村に蓮國寺の名で創建された。 慶長12年(1607年)、代官・栗原加賀守が住職・権大僧都日経上人に帰依した。栗原は寺を招聘して山県郡三輪村(現・岐阜市三輪宮西409番地の蓮國寺跡)へ移させた。また、菩提寺に定めて1反3畝18歩高1石6斗4升を寄進した。 元和6年(1620年)、栗原加賀守は部下による年貢の横領に関して監督不行届きをとされ代官を罷免され失脚した。また、10月25日には栗原自身も在任中の会計不正疑惑により切腹した。栗原の孫4人は津軽に預けられた。栗原の法名は華徳院前加州大守法蓮日種大居士。 寛文7年(1667年)、住職・日箋によって妙久寺と改称され現在地に移された。この移転には檀家の太田弥右衛門・長谷部孫右衛門両名の力によるところが大きかったという。ただし、もとの寺地にも蓮國寺として堂宇が残されたという。 宝永4年(1707年)、円祐によって残されていた蓮國寺が笠松八幡町に移された。 現住職は37世。
三輪(みわ)にある日蓮宗の寺院。
長松山
日蓮宗
本圀寺直末
1336年(建武元年)
大界大曼荼羅
日像
長松山妙久寺
有り