創建年代は不詳。奈良時代の天平年間(729年-749年)、信濃国国分寺創建と同じ頃の創祀、あるいは再建と伝えられる古社である。国分寺の守護神である国分八幡宮。
御祭神は応神天皇で、元々は八幡社を称し、現在も通称は八幡様。国分寺・堀・上沢三村の産土神として崇敬されている。
この信濃国国分寺の守護神と位置付けられたが、天慶2年(939年)の平将門の乱(天慶の乱)により国分寺が焼失し、移転。
この後、律令制度の崩壊に伴い、国の保護を失った国分寺は衰退した。当社も同じ歩みをたどったものと思われる。
鎌倉時代になり、源頼朝が建久8年(1197年)に国分寺を再建、復興した。これが現在も続く信濃国国分寺(八日堂)である。これに伴い、当社社殿も再建され、一時は社領30石を有する強盛を示したという。
しかし江戸時代の江戸時代の元和年間(1615年-1624年)には社家が途絶えて衰微。
国分寺守護の国分八幡宮。明治6年(1873年)4月に郷社に列し、明治11年(1878年)8月、八幡社から現社号に改称した。
ちなみに信濃国には国府の守護神であり、一国一社の八幡宮、いわゆる国府八幡宮が松本市の筑摩神社。国府と国分寺の守護神が明確に分かれはっきりしている珍しい例だと言える。