たじまひかわしゃ
埼玉県さいたま市桜区田島4丁目12−1
県花であるサクラソウの自生地として知られる田島は、荒川左岸の低地に位置し、農地と工場が混在する住宅地である。国指定特別天然記念物の田島ヶ原サクラソウ自生地は地内西端部の荒川の堤外地付近にあり、市立さ..
県花であるサクラソウの自生地として知られる田島は、荒川左岸の低地に位置し、農地と工場が混在する住宅地である。国指定特別天然記念物の田島ヶ原サクラソウ自生地は地内西端部の荒川の堤外地付近にあり、市立さくら草公園として保護が進められている。 当社はこの田島の鎮守としてられてきた社で、旧社家の栗原芳太郎家所蔵の「朱印状書上」(年不詳・未九月)によれば、既に慶安二年(一六四九)には徳川家光から朱印地七石を拝領したことがわかる。また、『風土記稿』田島村の項には「氷川社 村の鎮守なり、社領七石の御朱印を腸ふ、当社を下の宮と号し、西堀村の氷川社を上の宮と唱へり、末社鹿島社新脛社天王社稲荷社神主栗原民部吉田家の配下なり」とある。「下の宮」の呼称は現在でも通称として用いられているが、これについては、かつて田島と西堀が一村であったころ、同村内にある二つの氷川社を区別するため、上下の呼称を用いるようになったという話が伝えられている。 明治六年には村社となり、同四十年には大字関の無格社神明社と同境内社の八坂社・天満社、大字鹿手袋の村社八幡社と同境内社の稲荷社、同大字の無格社日月社と第六天社の計七社を合祀した。しかし、この合祀は実際は書類上のことにとどまり、いずれも旧地に社が残り、祭りが続けられている。当社の祭神は建速須佐能男尊外七柱である。
建速須佐能男命
旧村社
10月6日直近の日曜日