鎮座地の糠田は、荒川左岸の低地に位置し、その地内には、かつて「糠田の渡し」と呼ばれる荒川の渡し場があった。対岸の比企郡須戸野谷新田(現吉見町)と結ぶこの渡し場は、糠田河岸という河岸場でもあり、熊谷の久下から下ってきた船の、最初の休み場であった。
この糠田の鎮守である当社は、朝日山と呼ばれる台地上に祀られ、須佐之男命と稲田姫命の二柱を祭神とする。そのため、本殿は二間社の流造りとなっており、内陣には「氷川大明神御宝前 享保三年(一七一八)戌二月吉日」の銘のある金幣が納められている。なお、当社の境内は、昭和五十五年に県から「ふるさとの森」に選定された美しい社叢に包まれており、社殿はこの森の中央にある。
当社の由緒については、『風土記稿』糠田村の項に「氷川社 村民の持、文禄の頃(一五九二-九六)まで小社なりしが寛永年中(一六二四-四四)村の鎮守として造営すと云」と記されている。この記述と、境内が地元の旧家の河野権兵衛が代々住居を構えた「権兵衛屋敷」に近い所にあることから、当社の創建には河野家が深くかかわっていたと推測できる。現在の本殿は、享保三年(一七一八)に建立されたもので、平成五年には市の有形文化財に指定された。ちなみに、この本殿の四周には精緻な彫刻が施されているが、数年前にその一部が心ない輩に盗まれてしまったことが惜しまれる。